鬼手仏心

鬼手仏心(きしゅぶっしん)とは、仏教の言葉で、「仏心を以って敢えて鬼となり衆生を救う、誰かを救うために自身を鬼と化して行動を起こさねばならないとしても、心の真は仏の慈悲を以ってなさねばならない」という意味です。

外科医に対してよくつかわれる言葉で、今のような麻酔のない時代に、生身の肉体をメスで切り開き、患部となった臓腑を取り出すという一見すると凄惨な場面ですが、その心は目の前の患者を救いたいとの慈悲心のみであるということです。

ちなみに古代メソポタミアでは、すでに職業医師が存在しており、ハンムラビ法典(紀元前18世紀)には、「 医師が治療に失敗したときには、その両手を切り落とされる 」との規定があったそうです。
ミスをしない人間はいないが、医療の問題となると赦されざることもあるのは現代でも一緒です。

しかし、メソポタミアでは、その厳しさが現代とは比較にならなかったようです。我が身をふり返って、これぐらいの決意で日々の施術に向かえたらと思っております。

私は1965年(昭和40)生まれです。子供の頃は周りの大人の人たちは第二次世界大戦を乗り越え、戦地で鉄砲の弾をくぐり抜けてきた筋金入りの方々が第一線で活躍されていました。子供が悪さをしたら、他人の子供でも小突かれた時代ですし、学校の先生の鉄拳制裁も別段珍しいものではありませんでした。

暴力を美化するつもりはありませんが、あの頃の時代の方が、確かに野蛮だったかもしれませんが、人の心は今よりずっと温かかったと思います。味噌や醤油の貸し借りは当たり前だったし、我が家は貧乏だったので家に電話も無く、隣の家に電話も借りていました。貧しいがゆえにお互い助け合わなくては生きてゆけない、そんな環境だったのです。

時は流れて現代では物質的には豊かになりました。人の助けを借りなくても個で生きられるようになりました。そして倫理観も変わり、学校では教員の体罰はご法度ですし、親も子供を叱らなくなりました。または、それとは対極的な現象として過剰な虐待や、育児放棄、教員の不祥事などが社会問題となっています。果たして、ここには鬼手仏心の思いがあるのでしょうか。やることは手ぬるいが、心は鬼の「仏手鬼心」の時代とも受け取れます。

同じ暴力でも、その奥に仏心があるのか、鬼心があるのか。「仏」と「鬼」では千里の径庭があります。

私自身、子育てにおいても、社会生活においても大変な劣等生です。私生活は人にはお見せできないほどお粗末なものです。

そんな私でも治療院の臨床の現場で、患者様に時として耳の痛い話をすることもあります。(なるべくオブラートに包むようにはしていますが・・・)こんな時は、言葉は「鬼」、心は「仏」の「鬼手仏心」(鬼言仏心かな?)だとご理解いただき、どうぞお許しください。

お釈迦様は「縁なき衆生は度し難し」と説いております。確かに本人が拒絶しているものを説得するのは無理ですが、いつかはわかってもらえると信じて、これからもお一人お一人の患者様に良いと思ったことをお伝えさせていただきたいと思います。

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