インドの水汲みの話

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鈴木秀子さんの書籍を読んだ際に、インドの水汲みのお話が出ていました。皆様はもうご存知かもしれませんが、私はこのお話にとても感動しましたので、ここにご紹介させていただきます。

ひび割れた水がめ

インドに水汲みを仕事にする男がいました。

彼は2つの水瓶を左右の肩にかついで毎日、毎日、

川から丘の上のご主人様のお屋敷まで遠い道のりを運んでいました。

お屋敷に着く頃、右肩にかかっている水瓶は川で汲んできた時、

同様なみなみと水をたたえているのですが、左肩にかかっている水瓶はひびが入っていて、

ポタポタとこぼれ、丘の上のお屋敷に着いた頃には水が半分しか入っていないのです。

右肩にかかっている水瓶は、いつも自分を誇りに思っていました。

なぜなら、水瓶として本来の目的を、完璧に果たしていたからです。

そして、左肩にかかっているひび割れた水瓶は、いつも自分を恥ずかしく思っていました。

それはそうです。

いつも半分しか水を運び切ることができないからです。

2年が過ぎ、すっかり惨めになっていて自分のことをさげすんでいたひび割れた水瓶は、

ある日、川のほとりで水汲み男に話しかけました。

「僕は自分が恥ずかしい。そして、あなたに申し訳ない」

「なぜだい?」

水汲み男は言いました。

「この2年間、僕のこのひび割れのせいで、あなたはご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。

水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力をしても、その努力が報われることがない。

僕はそれがつらいんだ」と謝り続けました。

水汲み男は、ひび割れた水瓶を気の毒に思いそして言いました。

「そんなことはないよ。いいかい、これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いてるきれいな花を見てごらん」

天秤棒にぶら下げられて丘を登っていく時、ひび割れた水瓶はお日様に照らされ美しく咲き誇る道端の花に気付きました。

花は本当に美しく、水瓶はちょっと元気になった気がしましたが、

ご主人様の家に着く頃には、また水を半分漏らしてしまった自分が恥ずかしく、

水汲み男に謝りました。

すると彼は言ったのです。

「道端の花に気付いたかい?どっちの方に花が咲いていたかい?」

「僕が通ったほうだよ」

ひび割れた水瓶は答えます。

「そうだね。君が歩いてきた片側だけに花が咲いているね。もう一度、見てごらん。花がきれいに咲いているだろう。僕は君から零れ落ちる水に気付いて、君が通る側に花の種をまいたんだよ。そして君は毎日、僕たちが小川から帰る時に水をまいてくれた」

「花は君が育てたんだよ」

「ご主人様はこの2年間、おいしい水だけでなく、新鮮なきれいに咲き誇った花をテーブルの上に飾ってもらって、とても喜んで毎日を過ごされた。これこそ君のひび割れなしには成し得なかったことだ。
君のひび割れがあったればこそ、ご主人は花を喜び、おいしい水を飲むことができたのだ」

ひび割れた水瓶は咲いている花の列を見た時に、花の美しさに生まれて初めて目が覚め、世の中にこんな美しいものがあるのか、また、それに自分が少しでも貢献することができているという喜びでいっぱいになりました。

そして「ひび割れがあるから自分なんてだめなんだ」と思いつめていた自分に気づき、ひび割れていたからこそ見事な花を咲かせることができる自分を大変、愛おしく感じたのです。

この物語は、次の言葉で結ばれています。

「私たちそれぞれ自分だけのひび割れを持っています。私たちは皆、ひび割れた水瓶です。神の摂理のもとに、必要でないものはなにもないのです」
 

これを読んで、私は過去に自分の欠点、至らないところ、短所について悲観的になったり、落ち込んだりしたことを思い出しました。

人は誰でも完璧な存在ではないのです。けれども、それが個性となって逆に世のため人のために役立っていることもあるのです。

人と比べて自分はダメな人間だ! 自分は劣っている! 自分なんて何の役にも立たない社会のお荷物だ! 自分なんてこの世からいなくなれば・・・などと思っている方もいるかもしれませんが、どうか自分を大切にしてください!

あなたは、無限の可能性を秘めているのです。

人はややもすると、自分の能力を鼻にかけて、自慢したり、傲慢になったり、自分より劣る人間を馬鹿にしたり、自分は優れた存在だと選民思想に傾倒したり、そうでない人を差別したりと、能力があるがゆえに、とかく人を傷つける存在となってしまいがちです。

逆に自分が至らない存在であることを自覚している人ほど、謙虚になります。実は世の中を変えてゆくのは、このような人たちではないでしょうか。

このお話の凄いところは、一見すると欠点に見えるものが、実はそれが他を利するということです。

インドの水汲みのお話から、そんなことを気づかせていただきました。

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ヒポクラテスの誓い

古代ギリシャの医師ヒポクラテス(B.C.460頃~370頃)は、医学の始祖として世界中でその名を知らぬ者がいないほど有名な実在した人物です。因みにこの頃の日本は、縄文時代~弥生時代なので西洋の文化は医学も含め随分と進んでいたのです。

ヒポクラテス医学は、科学性と同時に、倫理性を大切にしていました。ここに「ヒポクラテスの誓い 」を掲載します。

                       誓い

医神アポロン、アスクレビオス、ヒュギエイア、パナケイア、および全ての男神・女神たちの御照覧をあおぎ、つぎの誓いと師弟誓約書の履行を、私は自分の能力と判断の及ぶかぎり全うすることを誓います。

この術を私に授けていただいた先生に対するときは、両親に対すると同様にし、共同生活者となり、何かが必要であれば私のものを分け、また先生の子息たちは兄弟同様に扱い、彼らが学習することを望むならば、報酬も師弟誓約書もとることなく教えます。また医師の心得、講義そのほかすべての学習事項を伝授する対象は、私の息子と、先生の息子と、医師の掟に従い師弟誓約書を書き誓いを立てた門下生に限ることにし、彼ら以外の誰にも伝授いたしません。

養生治療を施すにあたっては、能力と判断の及ぶかぎり患者の利益になることを考え、危害を加えたり不正を行う目的で治療することはいたしません。

また求められても、致死薬を与えることはせず、そういう助言もいたしません。同様に婦人に対し堕胎用のペッサリーを与えることもいたしません。私の生活と術とともに清浄かつ敬虔に守りとおします。

結石患者に対しては、決して切開手術は行わず、それを専門の業とする人にまかせます。(*当時のギリシャでは結石の治療を専門とする技術者がいた。)

また、どの家に入っていくにせよ、すべては患者の利益になることを考え、どんな意図的不正も害悪も加えません。とくに、男と女、自由人と奴隷のいかんをとわず、彼らの肉体に対して情欲をみたすことはいたしません。

治療のとき、または治療しないときも、人々の生活に関して見聞きすることで、およそ口外すべきでないものは、秘密事項と考え、口を閉ざすことにいたします。

以上の誓いを私が全うしこれを犯すことがないならば、すべての人々から永く名声を博し、生活と術のうえでの実りが得られますように。しかし誓いから道を踏みはずし偽誓などをすることがあれば、逆の報いを受けますように。

医学の父ヒポクラテスの名言

  • 満腹が原因の病気は空腹によって治る。
  •  汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ。
  •  食べ物で治せない病気は、医者でも治せない。
  •  人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている。
  •  人間がありのままの自然体で、自然の中で生活をすれば120歳まで生きられる。
  •  病人に食べさせると、病気を養う事になる。一方、食事を与えなければ、病気は早く治る。
  • 火食は過食に通ず。
  • 月に一度断食をすれば病気にならない。
  • 人は自然から遠ざかるほど病気に近づく。
  • 賢者は健康が最大の人間の喜びだと考えるべきだ。
  • 病人の概念は存在しても、病気の概念は存在しない。
  • 健全なる体を心掛ける者は完全なる排泄を心掛けねばならない。
  • 食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか。
  •  病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者は、これを手助けするにすぎない。
  • その人間のもつ疾病に興味をもつことよりも、その病む人間がどのような人間かに興味をもつことのほうが重要である。
  • 好機は去りやすく、経験は過ち多し。
  • 生命は短く、学術は永し。
  • 老人は若者より病気は少ないけれども、彼らの病気は彼らから去らず。
  • 極度にはげしい疾患には、極度にはげしい治療が最も有効である。
  • 医者には三つの武器がある。
    第一に言葉、第二に薬草、第三にメスである。
  • 言葉は暗示として、人間の身体に備わっている自然治癒力を促進させる効果がある。
  • 歩くと頭が軽くなる。
  • 幸運は大胆な人たちに笑いかける。
  • 経る時の中に機会は含まれている。しかし機会は長い時を含んではいない。
  • 賢い人ならば、人間にとって一番の宝は健康であること、そして病気の場合は、病気から学べるような意識を持つ事がなにより大切だと考えるべきである。
  • 我々が体の内に持っている、自然治癒力こそ、治癒するための最高のエネルギーなのである。
  • 何でも、やりすぎ、多すぎは、自然の摂理に反する。
  • 体の各部位を、適度に動かし、運動すれば、健康でいられるし、ゆっくりと老化する。しかし、使われていない部分は調子を悪くしがちになり、成長にも影響が見られ、老化が早く進む。
  • 病気は適切な食事療法と適度な運動によって安全に治療できる。
  • 病気は神が治し、恩恵は人が受け取る。

いかがでしたでしょうか。今から2000年以上前の言葉ですが、今の世の中にも通じる内容だと思います。聖書や仏典などもそうですが、真理について語られたものは、いつの世も変わらないものなのですね。

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二度とない人生だから今を生きる

アメリカで死に至る過程についての研究をした、エリザベート・キューブラー・ロス博士は多くの、まもなく死を迎えようとする人々にいくつかの質問をしました。驚いたことに皆が同じような答えだったのです。

「これまでの人生で何か後悔しているか?」という質問に、ほとんど全ての人が「はい」と答えた。

では、「何について後悔しているか?」の問いには次のような答えの共通項がありました。

 「ある人に対して、これまで一度も “あなたを愛している”と言わなかったこと。」

 「危険を冒してでも、もっとやるべきだった。」

 「自分の夢をついに実現できなかった。」

そこで、博士は聴きました。「あなたの夢はなんですか?」 この答えも共通していたのです。

 「わかりません・・・・・・・」

人生の本質的な目的はなんなのでしょうか。悔いのない人生のために、何ができるのでしょうか?

映画「ローズ」の主題歌の中で、ベット・ミドラーは歌います。

「壊れることを恐れる心は、踊りだすことがない」

「夢から醒めるのを恐れていては、チャンスを捉えられない」

「とにかく奪われないように、とばかり考えているものは、与えるということはできない」

「死ぬことを怖がる魂は、生きることが分からない」

二度とない人生だから

癒やしの詩人といわれる坂村真民(さかむら しんみん)の有名な「二度とない人生だから」という題の詩があります。

二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう

二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう

二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必ず
書くことにしよう

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう

二度とない人生だから
のぼる日しずむ日
まるい日かけてゆく月
四季をそれぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう

二度ない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一編でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人のために
この大願を
書きつづけてゆこう

人それぞれの死生観、宗教観があり、死後の世界にも様々な解釈があります。輪廻を信じる人、信じない人、それぞれの考えがあります。数年前にブームとなったスピリチュアル関連のテレビ番組などで、前世や生まれ変わり、来世のことなどが語られ、一般の視聴者もこれらの事を考える機会が増えたと思います。

しかし、本当のところは、誰も死んでみないと分からないということです。けれども一つ確実なことは、今の人生は二度は無いということです。

二宮尊徳翁の詩にも次のようなものがあります。

この秋は 雨か風かは 知らねども 今日のつとめに 田草取るなり

二宮尊徳は勤倹力行の人であった。先のことを憂えず、日々の務めを着実に果たす彼の姿を表した詩といえます。

私も十分におやじと呼ばれる世代になりましたが、まさしく光陰矢の如しです。自分探しに時間を費やすには、人生はあまりにも短いと思います。

スピリチュアルブームで、前世や来世に傾倒するのも、それぞれの価値観だからいいとは思いますが、ややもすると、現実逃避に陥る危険性も孕んでいます。

坂村真民の詩に「念ずれば花ひらく」という詩がありますが、よく言われるように「念」という字は、分解すると「今」の「心」と書きます。前世や来世も大切かもしれませんが、今という現実を直視し、一生懸命生きることが第一義ではないでしょうか。

念ずれば花ひらく

 苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった

そうしてそのたび

わたしの花がふしぎと

ひとつひとつ

ひらいていった

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キネシオロジーという診断法とは

札幌 キネシオロジーの谷井治療室

札幌整体治療院 谷井治療室 キネシオロジーテスト画像

【キネシオロジーテスト】

札幌 キネシオロジーの谷井治療室で、皆様に提供させていただいているMTS療法に欠かせない診断法が、キネシオロジーテストです。 キネシオロジーは、筋肉反射テストとか単に筋力テストと呼ばれることもあり、その原点はアメリカのカイロプラクティックのドクターであるジョージ・グッドハート(George Joseph Goodheart, Jr., D.C. 1918 ~2008)により、1964年に発表された検査法です。 

ジョージ・グッドハートは、AK(Applied Kinesiology.アプライドキネシオロジー:応用運動機能学)を発表し、AKから様々なキネシオロジーが派生し、TFH(タッチフォーヘルス)やOリングテスト、FT(フィンガーテスト)、筋診断法、胸鎖乳突筋検査法など多くの検査法が開発されましたが、その原理は同じです。 谷井治療室の治療の根幹であるMTS療法も、このアプライドキネシオロジーの原理を応用して診断しています。

キネシオロジーの原理を、今の科学で説明することは不可能です。そこには、気の概念や潜在意識のことなどの事柄が介在するため、現代科学の枠を超えてしまうのです。  

ブルースリーの「燃えよドラゴン」という映画の中で、彼が少年に稽古をつけるシーンがあります。彼は、いきなり少年に「蹴ってみろ」と言い、少年は怪訝な顔をするが、とりあえず、リーに向かって一発蹴りを入れる。  

リーは軽くかわし、「なんだそれは?見せ物か?集中しろ」と、もう一度蹴らせる。少年が蹴ると、再び軽くよけて「怒りではないぞ、気合いを入れろ」と言う。また少年が二発三発と蹴ると、リーは「そうだ!何か感じたか?」

少年が”Let me think…”(え~と…)と頭をかしげると、リーは少年の頭をひっぱたいて、 ”Don’t think.FEEL!” (考えるな!感じるんだ!)と諭す有名なシーンがあります。  

キネシオロジーの世界も、それを言葉や文字で理解することより、術者がどう「感じるか」が大切です。  

「畳上の水練(じょうじょうのすいれん)」という言葉があります。畳の上でいくら泳ぎ方について学んでも、実際に泳げるようにはならない。すなわち、理論だけではなく、実践が大切ということです。

何をどう感じるかは、人それぞれ違いますが、先ずは感じることが大切です。そして、そこから何かを学ぶのです。これまでの私の治療も、自分で実際に行動し、そこから何かを感じ、そして学び取る。この繰り返しであったと思います。  

何かを観察するとき、どんな目的意識で行うかで結果が大きく異なります。 例えば、同じ月を見ても、天文学者は月の位置や、クレーターなどを意識し、音楽家は旋律を感じ、文学者は恋の物語を創作し、小さな子供は、うさぎさんを見つけるかもしれません。

治療に於いても、目の前の患者さんから、どんな情報を読み取るかは、術者の目的意識によって変わります。 それから、キネシオロジーでは、術者が診断をすれば、何らかの答えが必ず出てきます。ただ、その答えが正しいのか、間違っているのかは、なかなか判断の難しいところです。

一つ言える事は、正しい心の状態で診断した場合、結果は正しいことが多いと思います。 西遊記の中に出てくる孫悟空は、数々の神通力をもっていますが、それを悪いことに使おうとすると、頭に付けている金の輪がしまって、たちまち神通力を失ってしまいます。 キネシオロジーでも、心が乱れた状態ですと、「正しく感じる」という力を失ってしまうのです。

MTS治療においては診断が命。その診断の核となるのがキネシオロジー( 筋力テスト、筋肉反射テスト)です。このテストの判別には、検査に使う筋肉(検査筋)に力が入るか入らないかのどちらかで判断します。すなわち「YES」か「NO」または「ON」か「OFF」または「白」か「黒」かの二者択一のデジタル的な判断になります。

キネシオロジーを診断に使っていると、この「白」か「黒」かの二者択一のデジタル的な答え以外に「白」でも「黒」でもない「グレーゾーン」のアナログ的な答えに出くわすことがあります。

通常のキネシオロジーでは、実際にはアナログ的な存在であるエネルギーを、術者が便宜上「YES」か「NO」かのデジタル的な答えしか出ないように設定しているので、その設定やその他の条件が明確であればあるほど、二者択一のデジタル的な答えが導き出されてくるのです。

しかし、そのデジタル的な答えの中にも、実際にはアナログ的な無限の変化が含まれているのです。通常の検査では、このアナログ的な変化は「YES」か「NO」かのデジタル的な答えの範疇には入らないので無視されるか、潜在意識内の設定に於けるフィルターにかかって表面上は問題にされません。

皆さん「フーチ」をご存知でしょうか。フーチ(振り子を使った検査法)では、キネシオロジーテストよりも明確に、アナログ的な答えが判ります。フーチでは初期設定として「YES」なら右回り、「NO」なら左回りと決めます。ここまでは二者択一のデジタル的判別です。

次いで、回りだした振り子の描く円の大きさや形によって、アナログ的な変化を読み取ります。これは振り子の振れ方が実際に目で見て判るので、とても理解しやすいのです。具体的には、右回りでも左回りでもエネルギーが強いほど大きく回ります。

キネシオロジーもフーチも同じものを検査しているのですが、それぞれの検査法によって答えの表現が変わり、とても面白いのです。 キネシオロジーもフーチも一長一短はありますが、この二つの方法を知ることで検査の幅も深さも格段にアップします。

キネシオロジーの精度

キネシオロジーを治療に取り入れてから25年以上、東京から札幌に移り住んで18年の月日が経ちますが、キネシオロジーの正確さには常に研究の余地があり、これで良いということはないと考えています。 どんなにベテランのキネシオロジストでも、誤診を絶対にしない人はいません。

誤診は思い込みや勘違い、質問の曖昧さなどのほか、術者自身の心とからだのブレも大きな要因になります。 天体観測を例にすると、ある星を望遠鏡で観測するとします。そのためには星座速見盤などでその方角や位置をしっかり確認して、そこに望遠鏡を向け倍率や焦点を合わせる必要があります。 キネシオロジーでも、「何を調べたいのか?」ということが大切で、目標がより明確な方が診断精度が上がります。

また、その事柄に対する知識や理解度もイメージングの明確さには欠かせませんので、知識も大切です。 しかし、これだけではまだまだ精度が甘いので、キネシオロジーをしている術者の心と身体が、正しい常態かどうかが最も大切な条件となります。結論から申せば、心もからだもニュートラルな状態が一番精度が高い状態なのです。

しかし、 ここに大きな落とし穴があるのですが、人は自分は正しいと思いがちだということです。そして、診断中に間違いがあっても、その時には自分が間違っていることにすら気づけないのです。己を知ることの難しさを、痛感させられます。

仏教でも、お釈迦様が中道の大切さを説いておられますが、キネシオロジーでも同じです。術者の心とからだに濁りやブレ、偏りやこだわり、とらわれなどがあるとそれに比例して精度が落ちてきます。よく無邪気といいますが、この邪気のない状態が望ましい状態です。

ここまで来るとキネシオロジーも単なる診断のツールの枠を超え『キネシオロジー道』となってきます。

治療において人間をどのように捉えるか、その見方「人間観」の違いによって、キネシオロジーにおける結果の出方も変わってしまいます。  

西洋医学は「心身二元論」、東洋医学は心と身体は一つとの見方。そもそも東洋医学は「気」の医学であり、そこには「気」の診断が不可欠となります。キネシオロジーは「気」を診断する検査法なので、東洋医学にはとても相性がよいのです。  

カイロプラクティックやオステオパシーもアメリカからのものですが、その考え方は東洋医学的な宇宙観と人間観が元になっています。今の医療の様々な問題点が、この人間観の違いから出ているような気がしてなりません。これからの時代、今まで白眼視されていた代替療法が一条の光となって世に輝く時だと思います。  

キネシオロジー(筋力テスト・筋肉反射テスト)は潜在意識に働きかけ必要な答えを得る方法の一つで、相手の気や微弱エネルギーの変化を五感以外の感覚作用(第六感)により感じ取ることができるものです。

キネシオロジーに関しては、治療を受けている患者さんもいつも驚いていますが、今までの学校教育や科学の知識だけではなかなか理解できないので、「これは、誰でもできることなんですか?」と、あたかも超能力者か何か特殊な修行でもしないとできないものと勘違いされるのです。

私は「誰にでもその能力は備わっていますよ!」とお答えしております。 生きとし生けるものは全てこの能力が与えられており、動物が身を守ったり、水や食べ物を探す際にもこの能力が使われているといわれています。

2004年のスマトラ沖地震では、象などの動物たちが津波が来るのを事前に察知し逃げたという事実が有名です。 その他にも、サメが海底ケーブルから出る微弱エネルギーにより、ケーブルを餌と間違えて噛み切ってしまう事故や、バクテリアでさえもこのような能力を持っていることがわかっています。

身近なところでは、飼い犬が何十キロも離れた主人の帰宅を感じ取り、玄関のところで待っていることもあるのです。 植物にも心や感情があることが、クレープ・バクスターによる「バクスター効果」というもので知られています。 これらの能力は、人間を含め生きるための基本的能力のひとつなのです。

この能力を健康のために応用しているのが、キネシオロジー(筋力テスト・筋肉反射テスト)です。

私は、キネシオロジーを診断の軸に使っていますが、これを覚えたての頃は何でもかんでもこのテストを使いまくっていました。その結果はというと、今では考えられないくらい不安定なものでした。 今は、逆に必要最低限のみの使用にとどめています。

治療を山登りにたとえると、その装備や技術を過信して無茶をすると、けもの道に迷い込んでしまい、運が悪ければ遭難してしまいます。 治療もキネシオロジーを過信しすぎて、自分の力量以上の診断を繰り返していると、必ず道から外れてしまいます。

診断においても大事なことは、今の自分の居場所(現在地)と、ゴール地点をしっかりと把握しておくことです。 「今の自分の居場所」とは、自分の治療感や、治療の概念やその方向性、技術力、など自分のスタンスのことです。迷ったときには、すぐにここに戻れることが大切です。

実際の臨床は、道なき道を進まなくてはならない、とても孤独な作業です。だからこそ慎重に慎重を重ねた診断が大切になります。私の尊敬する治療家の先輩が、「 99人治しても、1人壊してしまってはダメだ!」とよくおっしゃっていました。私も同感です。 技は使いすぎず、けれども、いざという時には、スパッと切れるように磨いてゆきたいと思います。

キネシオロジーにおいて、誤診が起きやすい条件には、以下のようなものがあります。

  • 術者または患者さんがスイッチング(エネルギーの逆転や混乱のような状態)を起こしている。  
  • 術者の思い込みや、強い先入観がある。  
  • 術者の体調不良(疲労、低血糖状態、脱水状態、風邪をひいている・・・など)  
  • 診断の際の距離が近すぎる。  

「 診断の際の距離 」とは、術者と患者さんとの間の物理的な距離ではなくて、術者の意識の距離のことです。キネシオロジーを行う際に、調べようという意識が強く働いてしまうため、検査対象に対して、前のめりになり、自分の意識が近づき過ぎてしまうのです。すると、正しい診断ができなくなってしまいます。私は、この意識の距離を一定に保つために、自分以外に、もう一人の自分を外に置き、そこを介して答えを聞く、という方法をとっています。結局は、自分で診断していることになるのですが、こうすることで、第三者的に客観的に、一歩引いた状態で検査できるので、検査結果が安定して得られます。 常に、自分自身を失わずに、平常心で、自分自身と対話ができることが大切だと思います。  

キネシオロジーには、いろいろなやり方があります。 手の指の筋肉を使う、O(オー)リングテストや、相手の腕を押し下げ、肩の三角筋を介してテストするものなどが最もポピュラーな方法です。その他、私が知っているだけでも、かなりの方法があります。

しかし、実際に臨床の場で使うのは、そのうちの、一つか二つの方法です。これはどんな臨床家でもそうだと思います。どうしても、いつも使っている慣れた方法になってしまうのです。 臨床の場では、検査の正確さはもちろんのこと、さらにスピードも要求されます。短時間にどれだけの情報量を正確に診断できるかが鍵です。 そこで、自分に合った検査法を一つ選び、徹底的に磨きをかけるということが、キネシオロジーの上達法だと思います。

キネシオロジーの応用

キネシオロジーによる健康食品などの相性チェックについてですが、健康食品などのメーカー側のチラシをみると、もっともらしい効果や、体験談が書かれています。 果たしてこれは自分に合うのか、合わないのかと悩んでいる方も多いと思います。私の治療室にも様々なサプリメントが持ち込まれ、相性を調べてほしいとの依頼があります。 このような場合、キネシオロジーを使ってチェックすると色々な事が見えてきます。

まず、どんなサプリメントでも、万人に合うというものは無いということです。 そして、今現在あるサプリメントとの相性がよくても、その後に変化することもあります。つまり人間は一人一人違う個性を持っており、体調や、ストレス、生理学的変化など日々刻々と変わっているので、サプリメントとの相性や必要量なども変化しますし、それが自然なのです。 ということで、私も患者さんには、「時々チェックしますので、また持ってきて下さい。」 と伝えるようにしています。

キネシオロジーを診断に使うようになってから25年以上経ち、その中で分かったことは、分からないことがあまりにも多いということです。

よく患者さんに、キネシオロジーで、恋愛や就職、運勢など様々な占い的要素の判断を依頼されますが、分からないことは分からないとお答えしています。

一寸先は闇と申しますが、人生先が分からないからこそ面白いのではないでしょうか。大抵の人は、失敗や苦難、苦労は出来るだけ回避したい事として忌み嫌っています。

しかし、人は失敗や苦難を通して、耕され、磨かれ、成長してゆくのではないでしょうか。何事にもチャレンジ精神で、失敗を恐れず、たとえ転んでも、ただでは起きないという思いが大切ではないかと思っています。

パソコンやスマホなどのバーチャルな世界はあくまでも疑似体験であり、実体験ではありません。占いで人に判断をゆだねることは楽ですが、それはあくまで他人まかせの判断です。本当の智慧は、実体験の中でしか学べません。

一歩踏み出す勇気が大切です!

剣の教えの中に、次のような言葉があります。

「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

キネシオロジーを使って診断をし、施術箇所を調べて行くと、ある程度のパターンや、傾向が出てきます。このパターンがしばらく続くとある日突然ガラッと変わることがあるのです。

それは、ちょっとした「ひらめき」などから始まることもあれば、何かに導かれるように変化してゆくこともあります。 いずれにせよ、何か大いなる存在に教えていただいているという思いになります。感謝!感謝!の思いです。

人は、その物事を理解し処理できる準備ができたとき、その人に合ったものを与えられるのだと思います。 そのためにも、少しでも進歩できることを何よりの喜びとして準備をして行きたいと思います。

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相手の立場に立ってこそ、愛情は共有できる

今回は、医療法人徳洲会の創設者、徳田虎雄先生の「生きる力」(PHP研究所)、の中に「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」(祥伝社刊)の著者、井村和清さん(1979年、物故)のお話が掲載されていましたので、その一部を抜粋し以下に掲載させていただきます。

人は何のために生きるのか、身をもって私に教えてくれた忘れられない人がいます。井村和清さんがその人です。

彼は、昭和52年5月開院の岸和田徳洲会病院に最初から参加してくれた医師でした。 知り合った頃は、沖縄県立中部病院で研修を終えたばかりの29歳の医者としての使命感に燃える青年医師であり、新妻の倫子さんをともない赴任してきてくれました。

私は新設病院の慌ただしさを知っているだけに、甘い新婚生活を引き裂くのは胸の痛む思いがしたものです。 開院直後の病院はやるべき仕事が山積みで、やはり忙しい。そんな環境でしたが、彼はにこやかに、そして丁寧に患者や職員に接してくれたため、すぐに周囲から信頼され、「先生! 先生!」と、みんなから親しまれていました。

どうしていつも穏やかでいられるのか。しばらくたって、そんな疑問を解いてくれる話を打ち明けてくれました。 彼は学生時代に大病を患い、2年間ほど入退院を繰り返したそうです。また、入院していたころ、献身的に看病してくれた母親は、彼が復学して間もなく、腎結核から薬の副作用で聴覚を失い、その後亡くなったと言います。

このときに、ずいぶんと辛い思いをしましたが、医者や看護師、周りの人たちから「今は辛いけど、きっといいことはある! いっしょに頑張ろう」と優しい声をかけてもらったからだといいます。

この辛い経験が患者を心から思いやり、愛情を注ぐ原動力になっていたのです。 こうした誰からも好かれる井村先生でしたが、病院で働きはじめた7月、最初のお子さんになる長女・飛鳥ちゃんが誕生。職員からお祝いの花束を受け取り、照れる先生でした。が、私はそのときに彼が右足を引きずっているのが、なぜか気になりました。

「どうしたんだね?」とすぐさま尋ねると、「半年前から、ときどき右膝が痛むんですが、たいしたことないですよ」と、心配はいらないという表情で答えてくれたのでした。

ところが、それから数ヶ月後に、最悪の状況を迎えたのです。右大腿部切断が必要な骨肉腫とわかったのです。医師、看護師などスタッフ全員が愕然としたにもかかわらず、当の村井先生といえば、飄々としていました。

気丈な先生はすぐさま切断手術をし、手術後には抗がん剤投与も受け、義足での6ヶ月のリハビリもこなしたのです。それらの治療は厳しく、想像を絶するものでしたが、弱音のひと言も吐きませんでした。

治療を終えた昭和53年5月、再び岸和田徳洲会病院に復帰。職員がこみあげる感動で涙して迎える中、「切断した足は15キロありました。それが別のところへいったのか、体重は少しも減らないのですよ」と、明るくあいさつしました。逆に職員が強く勇気づけられたものです。

しかし、喜びも束の間、8月に彼から「両親や妻には秘密にしますが、実は悪性腫瘍が両肺に転移しているんです。限られた時間の中で、できるだけ多くの患者さんに接したい」。このまま医療に従事したいと、真剣なまなざしでこれからのことを訴えられたのです。

苦渋の選択でした。ですが、私はその意思にしたがったのです。自身ががんであるにもかかわらず、がんで余命二、三ヶ月の患者数人の治療に力を尽くされていました。

しかし、日増しに咳も増え、痰に血も混じるようになり、医者として患者を担当できなくなったのです。 こうして再び病院を去る日の朝礼で、もはや仕事が続けられないと打ち明け、職員に遺書となった「三つの悲しみ」について、かみしめるように話してくれました。

「私には三つの悲しみがあります。一つ目はどうしても治らない患者さんに何もしてあげられない悲しさ。二つ目は貧しい患者さんが、お金の心配をしなければならない悲しさ。三つ目は、病人の気持ちで医療をしていたつもりでも、本当に病人の気持ちになることができない悲しさがあります。患者さんにできる限りの努力をしてください」。

限界まで医療に尽くした彼の言葉は、職員の胸に熱く染み渡りました。 そして治療に専念してから一ヶ月後のある日のこと、「徳洲会の皆さんへ」と綴られた一通の手紙が私の元に届きました。

手紙には、「『この薬は嫌だ』『あの看護師が気に入らない』とわがままな患者さんに、私が立腹していた時、研修の指導医のマクリーン先生が『He is sick, you are not sick, (彼は病気だ、あなたは病気ではない)』と患者の心を、健康な人間の物差しで測ってはいけないと諭され、恥ずかしい思いをしました」と、職員への感謝と医療人の心得が、実直な字で綴られていました。

どんな状況のときでも、患者さんを思いやること。それを第一に考えることの重要性がしっかりと記されていたのです。 そして直後の昭和54年1月21日(奇しくも、このブログを書いている今日が井村和清さんのご命日です)。ご家族から危篤の連絡。すぐさま私は駆けつけたのですが、枕元で彼が見せてくれた表情には、大腿部切断を宣告されたときや最後の朝礼でも見せた、あのいつもの微笑みがありました。まずは相手を気づかう。そんな井村先生の優しさに、そっとここでも触れたのでした。

私を含め、徳洲会で働く仲間たちが先生から教えてもらったこと。それは医療人としてつねに周りの人たちに惜しみなく愛情を注ぐこと。人類愛の大切さを伝えてくれたのだと、今でも思います。

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健康と食生活

人は腹いっぱい食べ物を食べれば、とりあえず満腹になる。

けれども細胞一個一個が真の栄養で満たされているかは別問題である。

人の味覚には酸っぱい、苦い、甘い、辛い、塩辛いなどの感覚はあるが、いま食べているものが栄養があるものなのか、単なるジャンクフードなのかは見分けられない。

なぜ人間にこのような感覚が備わっていないのか?

その理由は、もともと自然界にはジャンクフードのような偽りの食品は存在しなかったので、それを見分ける感覚は必要なかったからだと思います。

偽物の食品が氾濫する現代社会ではどうすればよいのか。

フランシス・ベーコンの言葉である「知は力なり」によるところが大きいと思います。

食の安心・安全に対する正しい知識を学ぶことが現代社会を生き抜くためには必要なのかもしれませんね。

また、中国の古典「菜根譚」に以下のような文章があります。

醲肥辛甘非真味。
真味只是淡。
神奇卓異非至人。
至人只是常。

醲肥辛甘(じょうひひんかん)は真味にあらず。真味は只だこれ淡なり。神奇卓異は至人(しじん)にあらず。至人はただ是れ常なり。

【現代語訳】

濃い酒や脂のよくのった肉、辛すぎるもの、甘すぎるものは、本物の美味しさではない。本物の味は淡白なものである。同様に、人並みなずれた天才は道を修める人間ではなく、道を修める人間は平凡な人間である。

グルメブームの現代社会では、味付けが濃いものばかりのような気がします。本物の味の判らない人が増えてしまったのでしょうか。

中国の菜根譚が出たところで、東洋医学と内臓の関係で、土用についてお伝えさせていただきます。

土用 とは、 立春(2月4日頃)立夏(5月5日頃)立秋(8月7日頃)立冬(11月7日頃)の前18日間を言います。それぞれ、立春前の「冬の土用」が1月17日頃、立夏前の「春の土用」が4月17日頃、立秋前の「夏の土用」が7月20日頃、立冬前の「秋の土用」が10月20日頃から始まります。

古来中国から伝わった陰陽五行説では、すべての事象を木・火・土・金・水の5つに分類しており、季節の変わり目である立春・立夏・立秋・立冬の前18日間を「土気」に分類し「土用」と呼ぶようになったようです。

「土気」を人間の臓器に当てはめると、「脾」・「胃」となります。「脾」は膵臓に当たります。

すなわち消化器系が「土気」に相当します。

そして土用は、「脾」・「胃」のバランスを崩しやすい季節です。もうすぐ立春前の「春の土用」が来ます。(2月4日頃)

この季節は胃と膵臓を壊しやすいので、飲食を慎み養生することが大切です。

西洋の諺では、『その人がどんな人かは、その人が普段何を食べているかを見ればわかる』と言われます。食癖とその人の内面はイコールなのです。

心が安定している人は、自然な食べ物を選ぶ。

心が不安定だと、不自然な食事を好みます。

よく、内科疾患の90パーセントは精神疾患であると言われます。現に内科を受診すると精神安定剤などを抱き合わせで処方されるケースが多々あります。その人の心が何を食べるかを選び、その結果として生活習慣病になるという図式はまさに、心が病をつくる典型です。

残念ながら、生活習慣病の方々は病識(自分が病気という認識)がない方が多い。こちらが食べ物や生活習慣についてアドバイスしても、馬耳東風である。そして、自分たちは、決しておかしな生活習慣をしていないと主張します。

昔、植木等のスーダラ節に『 わかっちゃいるけどやめられねぇ』というフレーズがありました。これは、半分当たっていて、半分は間違っていると思います。やめられないのは、本当の意味では分かっていないからです。

人間の思考が、運命までをも変えてしまうことを、次の言葉が示しています。

   思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから

   言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

   行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

   習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

   性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

                    <マザーテレサ>

自分の思考に気をつけ、その間違いに気づく『感性』を大切にしてください。悔い改める(喰い改める)機会は必ずあります。

病気は、その時代を反映しますが、特に食生活がそのカギを握っていると思います。医学や医療機器の進歩には、目を見張るものがありますが、それに反して病気の増加もめざましく、大病院の待合室に行ってみれば分かるとおり、巷には病人があふれています。

西洋の諺に、「食で治せないものは、医者もこれを治せない」と言うものがあり、東洋でも、「病は口より入り、禍は口より出ず」と言われております。このように、 昔の人も食の大切さを説いておりますが、その当時は今のような農薬や食品添加物も無ければ、もちろん遺伝子組み換え食品もなかった時代です。先哲たちが現代の食生活を見たら何と言った事でしょう。

また、「三つ子の魂百まで」という諺の通り、小さい頃にどのような食生活を送ってきたかが、大人になっての食習慣に大きな影響を与えます。東京で小児科医を開業していらっしゃる、真弓貞夫先生は、最近の子供は「おふくろの味」ではなく「袋の味」に慣れてしまっている。と警鐘を鳴らしております。

私の知人にコーラ好きの人がいます。その方によると、子供の頃に運動会で毎年、無料でコーラが配られていたそうで、それ以来コーラを止められなくなってしまったそうです。

先日も、当院に来院された女子高生に、消化器系統のエネルギーが落ちているので、甘いお菓子を控える旨お伝えしたところ、その子から「いつまで控えればいいんですか?」と真剣に聞き返されてしまいました。私としては、出来得るならば白砂糖を使ったお菓子は、一生涯を通して極力少なくした方がいい事をオブラートに包んだ表現でお伝えさせていただきましたが、真意は伝わらなかったかもしれません。

『一利を興すは一害を除くに若かず』(いちりをおこすはいちがいをのぞくにしかず)                                                                                                               

                                     「十八史略」 南宋 

良い事を何か一つプラスするよりも、悪いこと、マイナスな事を取り除いたほうがよいという教えです。

『良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない。』

                                      島津義久

病の根本的な解決には、食生活の改善なくしては成就はないと思いますが、私も偉そうなことは言えません。自戒の意味も含めまして、今回のテーマにさせていただきました。

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水野南北 開運の極意

水野南北(みずのなんぼく)は、江戸の中頃に京都に住み、聖徳太子を教祖として尊び、さらに神道、儒教、仏教の三道を深く研究した。 尚、三年間、散髪屋の小僧になって頭の相を研究し、三年間、風呂屋の三助(さんすけ)〔銭湯で垢すりや髪すき等のサービスを提供する男性のこと〕をして体の相を研究し、三年間、火葬場の隠亡(おんぼう)〔火葬場において、死者を荼毘に付し、遺骨にする仕事に従事する作業員〕をして、死者の骨相を徹底的に究めるなど、東西の相法を研究するのみではなく、実地についても深く研究を積み重ね、百発百中当たらざるなしといわれた古今東西、類をみない権威者で、門弟、六百余人と称せられた。

「水野南北 開運の極意」・・・・万に一の誤り無し

私は長年、ずっと人の人相を占ってきたが、ただ人相のみで判断すると 金ができ出世し長生きをする相の人で 貧乏し若死にをする人があり、 貧乏で若死にをする相の人が 実際では金ができ、 出世をし長生きをする人があって なかなか当たらぬことが多く残念に思っていた。

ところがある時 ふと食物が大事では?と気づき、 人の運不運、寿命はみな食物、飲物をつつしむか、つつしまないかによって決まるのではあるまいかと、ためしてみたところ、一年前には大難が来るようになっていた人が、 断然飲食いをつつしんだため、大難をまぬがれただけではなく、かえって良いことがあり、生涯貧乏である相の人が 飲食をつつしんだため相応の富貴を得て、今は大変出世している人があり、前々から病弱短命と判断していた人が、毎日飲食をつつしんだため、心身共健康で 長生きしている人が少なくなく、こんな例をあげると数えきれない程である。

それからは、人を占うのに まずその人の飲食の様子をきいて、それによって一生涯の運、不運を判断したところ、万人に一人の失敗もないことがわかり、 人の運命は全く飲食一つであると確信し、私の相法の極意であると定めた。

そしてこれを人にすすめるだけではなく、 私自身が率先して実行し、一生涯、唯、麦を一日一合五勺だけとし、(現代では玄米一日一合から一合五勺) 酒は大好物だがこれも一日一合と定めた。

これは唯自分のためばかりではなく、みんなが一日も早く飲食をつつしんで、開運幸福長寿を得られるように、切望してやまないからであった。

人間一生の吉凶は皆ただその人の飲食による。恐るべきは飲食である。

つつしむべきは飲食である。

飲食がもちまえより少ない人は人相が悪くても吉であり、相応の幸せを得、長生きし晩年幸福である。

飲食がもちまえより多い人はたとえ人相が良くても何事も順調に行かず、手遅ればかりで生涯気苦労が絶えず、晩年不幸せである。

少食で、厳しく定めている人は、たとえ貧乏して悪い人相であっても相応の幸せがあり、長生きして何事も大抵不自由することなく晩年幸せであり、ひ弱そうに見えても病気をすることがない。

大食であって、その上量も時間も決まっていない人は問題外で一生涯運はよくならず、ついに家庭をこわし、病気になる。

飲食に定めがあっても時々少しでも多かったり少なかったりすると、収入もまた多かったり少なかったりする。

飲食が一定していて変化がないと収入もまた一定して変化がなく、ただ食事を一定して厳重に守るのが良い。

寿命の長い短いは、ただ人相だけでは定めにくく、平常の食事の量を調べて占うと万人に一人の失敗もない。

病気のない吉相の人であっても若い時から毎日贅沢な食事の人は年をとって胃腸の病気になる。

毎日仕事に精を出すだけでは立身出世するものではなく、一所懸命、倹約して、大食をつつしみ少しでも天から頂いている食物を延しこれを基礎として立身出世を計るより他はない。

飲食に贅沢三昧をし、したい放題をして、立身出世を望むのは大馬鹿だ。返す返すも飲食をつつしむことが第一です。

厄年に大難の相があってもいつもおごった食事をせず厳重に定めている人は厄をまぬがれる。

酒や肉を多く食して肥え太った人は一生涯、出世発展することがなく、つつしまないと晩年不幸せである。

自分が後々、立身出世しようと思うならばまず第一に食を減らして厳重に定めること。

これができる人は必ず立身出世をし、できない人は生涯立身出世の見込みがない。

繁盛している家の運が尽きてつぶれようとしておっても、もし後継ぎの主人がその食事を減らして厳重に守ると収入が自然に伸び、家運は栄える。

たとえ貧乏で苦労の多い人相でも自分自身で、貧乏人らしく粗末なものを食べ、これを厳重に守り抜くときは自然に貧しさから抜け出して相応の財産ができる。

これを自福自得という。 普通、「気が強い」というのは、ただ強気一方で、がむしゃらに非道を押し切ってするのをいう。酒や肉を、たらふく飲み、たらふく食べていかにも元気強そうに見栄を張るのは、本来、天理に背くもので長くは続かない。

つつしみがあって、そうして身を立てる人であってこそ、始めていついつまでも長続きする。

たとえ千日千夜祈ったとしてもそこに誠がなかったならば、決して神命には通じない。

もし誠をもって祈ろうと思うならば、自分の命を神にささげよ。

飲食は、わが命を養う本であり、飲食をささげることは自分の命をささげるのと同じである。

神は正直な人の頭(こうべ)に宿られる。濁ったものは受けられない。

ふだん三椀であれば、毎日お膳に向かって、自分の信ずる神仏を心に思い祈るならばどんな願いでも叶えられないことはない。

一つの道に秀れているものは、たとえつつしみが堅固であったとしても天は更に困窮を与えられることがある。

これは更に一層道に励まそうとされる天の御心である。

大人はこんなことに心を煩わされずますますその道に励むので、遂に天下に名を残す。

小人は心がすぐに乱れてつつしみを捨て、天を恨むので、一生ふらふらして目的を達成することができない。

たとえ小人であっても飲食をつつしんで、厳しく決めると心は乱れない。

心が乱れなかったなら、そのうちにきっと目的を達すること疑いなし。

だから先ず飲食をつつしみ、そのほかどんなことでも善いということを実行して天運を待っておるがよい。運はめぐるである。善いことも悪いこともみんな自分の実行に従ってまわってくる。

運は報いである。 自分で一度善いことをすれば、その報いは必ず自分にまわってくる。吉凶ともその報いがまわってくることは、天地の法則である。

運は、はこぶである。自分の行う善事が小さくてもこれをだんだん積み重ねていくときは、終いには天下の大きな善事を成し遂げる。

命のある間はどんな人にも運がある。朝早くから起きて、毎日の仕事に精を出し、その上飲食をつつしんで怠らなければ、自然に天理にかなって運は段々開けてくる。これを開運という。

飲食をつつしんでおると心も体も健康で、気が自然に開けてくる。気が開けると運もそれにつれて開けてくる。決して誤りはない。まず三年つつしんで見なさい。それで、もし運が開けなかったならば、世界に神様はおられない。水野南北は天地の大敵である。

人相の善い悪いをはっきり知ろうと思えば先ず自分で飲み食いをつつしみ、いっさいの無駄をなくし、そうして三年続けたならば、人相の善し悪しは自然にはっきりする。私はいつもこれを実行して、自然の善し悪しを自分で十分に納得してから、みんなの人相の判断をした。これが占いの大道である。 自分でこれをしなくて、どうして人の善し悪しを占う事ができよう。人を占うことは要は自分のつつしみだ。私の相法皆伝の極意はけっしてこのほかにはなにもない。              

「水野南北 開運の極意」より~

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心の余裕と子供の遊び

精神科医の斎藤茂太さんが、長寿を保っている人たちを観察し、長寿を保てる人の特徴として「心に余裕のある人々である」と結論づけています。

斎藤さんは心の余裕を、具体的にどういうものかを次のように述べています。

  • 人づきあいがうまい。(友人が多い)
  • 常に前向きの姿勢を持っている。
  • 本業以外の趣味を持っている。
  • 他人のせいにしない。
  • 好奇心が旺盛。
  • ストレスを恐れず、むしろ楽しむ。
  • 仕事を道楽と心得る。
  • ユーモアを忘れない。
  • 何事も後悔しない。

さらに、そのためにどうしたらいいかの処方箋として、STRESS(ストレス)の六文字で表現して次の項目を上げています。

  • S・・・スポーツ
  • T・・・トラベル(旅行)
  • R・・・レクリエーション
  • E・・・イート(食べることを楽しむ)
  • S・・・スリープ
  • S・・・スマイル(笑う患者ほど治りが早い)

これらの様に、心に余裕を持たせるには物事を楽しむこと、遊び心をもって行うことに通じます。

以前に書いたブログに「関節にも遊びは大切です」というものがあります。ここでも書いたように、骨格の関節も、人の心も遊びが大切だと思います。

遊びの話が出たところで、ここでちょっと私の子供の頃のお話をさせていただきます。

『スタンド・バイ・ミー』(Stand by Me)という1986年公開のアメリカ映画がありますが、私も子供の頃は、ろくに勉強もせず遊んでばかりいました。特に夏休みなどは、朝のラジオ体操が終わってから、朝食を済ませ、すぐに友達と遊びに行き、真っ暗になるまで泥だらけになって遊んだものです。

今思うと、スタンドバイミー以上の危険なことも平気でやっていました。

私の住んでいた町田市森野という所は、東京都のはずれで、神奈川県とは境川という川を挟んで隣り合う田舎町でした。

ある日、上級生のK君と川向こうの雑木林にクワガタをとりに行くことになりました。いつもなら遠回りをして、境川にかかる「ひのき橋」を渡って川向こうの雑木林に行くのですが、その日に限ってK君が川の上に架かる旧国鉄の横浜線の鉄橋を渡っていくと言い出したのです。

その当時の横浜線は、のどかな単線で、1時間に2本位しか電車が通っていなかったと思います。鉄橋といっても大変粗末なもので、線路の左右には柵は無く、枕木の下数メートルには境川が流れている状況です。しかも、枕木と枕木の間からは真下の川が丸見えなのです。(渡っている時はけっこうスリルがありました)

下の写真がその現場で、手前のガードレールが、ひのき橋という橋で、いつもはここを渡って写真奥の雑木林に行きます。

写真の奥に架かる鉄橋が子供の頃に渡っていた横浜線の鉄橋ですが、当時はこの写真のような立派なものではなく、本当に粗末なものでした。

私の家は写真左に映っている家よりもさらに奥に200メートルくらい行った所にあったので、この鉄橋を渡るのが一番の近道になったのです。

K君と線路のある土手をよじ登り、電車が来ないことを確認して、K君の後に続いて鉄橋を恐る恐る渡ります。枕木の上を渡っていくのですが、万が一足を滑らしたら、下の川に真っ逆さまです。よくこんなことしていたなと、今は反省していますが、あの頃はそれも遊びの一部だったのです。

この写真の境川は、当時はもっと水かさがありました。

この写真の左奥に当時は飯場(はんば)と呼ばれる、プレハブの土木工事労働者の作業員用の宿泊施設がありました。そこに転がっていた空きドラム缶を二つ拝借して、それを同じ飯場で調達したロープで縛り、上にベニヤ板を渡してイカダをつくり、この川に浮かべて遊んだりもしました。

これは近所のガキ大将のI君を中心とした数名で行ったのですが、イカダが途中で座礁して動かなくなったので、ガキ大将の命令で、下っ端だった私と数名が川に入りそのイカダを引っ張り出したのです。

実はこの川の100メートルくらい上流に、し尿処理場があり、その処理水がこの川に流れていたのです。そのため、この一部始終を眺めていた近所の大人たちに、この川に入ることがいかに汚いかと、バカにされました。

私も汚いことはわかっていましたが、ガキ大将の命令は絶対なので逆らえませんでした。でも、これも今思い返せば楽しい思い出です。

今の様にゲーム機やスマホなどもない時代だったのと、私の住んでいた地域が低所得者向けの都営住宅だったため、みんな豪華なおもちゃなど持っていませんでした。そのお蔭で、身の回りにあるもので自分達で遊びを考える知恵を働かせました。

5寸釘で、釘刺しもしました。竹藪に入って、竹を切り出し、それを加工して刀をつくり、チャンバラもしました。こういうことでノコギリや切り出しナイフの使い方も自然と覚えました。

その他にも、魚釣り、ザリガニ釣り、虫取り(カブトムシ・クワガタ・カマキリ・バッタ・セミ、トンボなど)、凧揚げ、コマ回し、めんこ、ビー玉遊びなども私だけではなく、昭和40年代~50年代の子供たちはみんなしていたと思います。

公園で野球もよくしたものですが、都営住宅が2階建てだったので、ホームランで屋根の上にボールが乗ってしまうと、下っ端だった私はそのボールをとりに行かされるのです。

その方法は、1階から屋上に繋がる雨どいをよじ登って屋上に上がりボールを下に投げて、同じように降りてくるのです。

1階と2階の間と、屋上の部分には、ひさしが有って、これが高床式倉庫のネズミ返しの様になっているため、ここを乗る超える時が最も技術がいるところです。ハッキリ言ってこっちの方が、横浜線の鉄橋渡りよりも数段危険なのです!

今、冷静に考えると、良く生きていたなと思うほどです。(良い子は絶対まねしないでくださいね!)

ここまでの私の体験談は、普段の遊びのほんの一部で、とにかくあらゆる遊びをやり尽くしたということです。

でも、これらの遊びは、単なる遊びではなく、私の心も体も鍛えてくれたのです。今の自分があるのも、子供の頃に存分に遊んだ経験が財産としてあるからだと思います。

「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」とロバート・フルガムの本のタイトルにもある通り、子供時代の遊びが、その後の人生の生きる力になってくれます。

しかし、今残念に思うのは、自分の子供達に思いっきり遊ばせてあげられないことです。昔は子供達だけで群れになって遊んでいましたが、今の時代はガキ大将もいませんし、子供たちの数も少なく、遊び場も限られ、習い事などでみんなが揃うことが無くなりました。

遊びと言う貴重な学びを経ないで、大人になることの弊害がいかばかりかと本当に危惧しております。

「大人の遊びはお仕事と呼ばれます。 子供の遊びも似たりよったりなのに、大人は罰するのです」

 ≪出典≫ ローマ、アウレリウス・アウグスチヌス

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直観知と柔軟な思考

人間は肉体のほかにエーテル体やアストラル体、メンタル体、コーザル体・・・などといくつかの階層に分かれていると表現されています。これは、神智学を創唱したブラヴァツキー夫人が、人間の構造を7つの階層に分けて説明していることが始まりとなっています。

前回のブログでも取り上げたように、ホリスティック医学に携わる方々は、多少の違いはあるとは思いますが、皆この様に人間のことを肉体、霊、精神、魂などの全体性としてとらえています。

しかし、ちょっと疑問なのは、はたしてこのようにエーテル体やアストラル体、メンタル体、コーザル体・・・の様に明確に階層が分かれているのでしょうか?

恐らくそれぞれの階層の間には、さらに細かな階層が連続的に連なっていると思います。その答えの参考になるのが、虹の色です。

虹の色は何色でしょうか?

日本人は「赤・だいだい・黄・緑・青・あい・むらさき」の7色と答えるでしょう。イギリス人も7色と答える人が多いそうです。アメリカ人は6色、その他に5色、3色、2色などと答える地域もあるそうです。

最初に虹が7色と決めたのは、ニュートンだそうで、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの7つの音階に当てはめたそうです。

音階も便宜上ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの7音階が1オクターブに割り当てられています。実際には、ドとレの間にも無限に音は存在するのですが、人が聞き取れないのと、和音にした場合に不協和音が発生してしまい演奏に適さないためこの様になっているそうです。

虹を見てもわかるように、それぞれの色は実際には無限のグラディエーション的変化となっております。

私達の目は赤・青・緑の3色に反応する光受容器が存在します。その他の生き物では、ミツバチの仲間は赤の光受容体がなく、紫外線、青、緑の3色型色覚を持つことが知られています。アゲハチョウやモンシロチョウは、ヒトより多い、紫外線、紫、青、黄、赤の5色型色覚に加え、さらに、お尻にもう1つの「目」(眼球外光受容器)を持つといいます。お尻の「目」では、交尾や産卵を確実に行えるように紫外線から青にかけての光を利用していることが確かめられています。

甲殻類で寿司ネタでお馴染みのシャコは、12種類もの光受容体をもっているそうです。

この様に人間以外の生き物が同じ虹を見たときに、いったい何色に見えているのでしょうか? 

ところで現代人には直観知が決定的に欠けていると言われています。科学的に考える癖をつけて以来、「科学的に証明できないこと」を信じなくなり、五感を鈍らせてしまいました。これにより自分で感じて考えるという癖が無くなり、人から与えられた解答を鵜吞みにするようになりました。

空の色は青、海の色も青、ニワトリは「コケコッコー」犬は「ワンワン」と鳴き、1+1の答えは2になると誰が決めたのでしょうか。

科学の世界には「ナイトサイエンス」(夜の科学)という言葉があるそうです。論理的な思考で展開される研究がデイサイエンス(昼の科学)とすると、ナイトサイエンスは直感、偶然、不思議な体験が大発見や大発明に繋がることが多くあることを示す言葉です。

直観知が研ぎ澄まされてくると、第六感も働くようになり、ものの見え方、感じ方が変わって、その本質を見抜けるようになってきます。ニュートンもアインシュタインもこのナイトサイエンスに通じていたと言われています。

オーストリアの論理学者ゲーデルと言う人が、「ある事柄が心理と思えたとたん、必ず例外事項が現れてくる」と言っています。

いま与えられている既成概念のまま生活していくと、必ず例外が現れ、その謎が解けると、またそこから例外と謎が生まれてくるのです。

また、一見失敗したかに見えたものや、人知を超えた偶然が働いた結果、新たな発見や発明が生み出されたという話は多くあります。ペニシリン、ダイナマイト、X線や放射線などがそれにあたります。

「セレンディピティ(Serendipity)」という言葉があります。これは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力や才能を指す言葉です。たまたま何かを発見したという「現象」ではなく、そこから何かを導き出す「能力」のことです。

科学分野においても、例え当初の目的の実験は失敗しても、そこからひらめきを得て、まったく別の価値あるものを発見することがあります。偶然の産物を得ることができるのは、柔軟な思想と、ポジティブな好奇心、発想の転換などが必要であり、セレンディピティを持った科学者が大きな発見、発明を成し遂げているのです。論理的思考だけで導き出す回答には限界があります。この様に時には偶然の発見が必要になるのです。インドの聖人クリシュナムルティ―は次のような言葉を残しております。

「解決は大いなる神の業。人間の努力で解決できるものは少ない」

人間の身体も、虹の色も、権威が決めた概念を鵜呑みにするのではなく、ありのままの自然の姿を、自分がどう感じるのかが最も大切ではないでしょうか。そこに新たな発見や発明の種があると思います。最終的にその発見や発明の種が発芽するためには、人知を超えた大いなる働きが必要であると思いますが、その働きを生かすも殺すも自分の思考の柔軟性にかかっていると思います。そして、治療家にもこの直観知という柔軟な感性が最も必要とされていると思います。

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関節にも遊びは大切です

今回のテーマは「関節の遊び」についてです。人間の身体には肩関節や肘関節、股関節や膝関節などの関節があります。

関節についてブログをまとめるにあたり、基本的なことに気づきました。

お恥ずかしながらカイロプラクティック、オステオパシー、整体治療の世界にいながら実際に自分の体にいくつ関節があるか数えたことがないのに気が付いたのです。

人体の骨の数は、約206個あります。約といったのは、尾骨や種子骨(しゅしこつ)などの数に個人差があるためです。

そして実際の関節の数は、その分類法によって数が変わってしまいますので、正確な数はまちまちですが、数百はあると思います。

関節(joint)とは、骨と骨との可動性の連結部。両骨の相対する面には軟骨の薄層があり、また周囲の骨膜内面から滑液が分泌され、運動をなめらかにする。  (広辞苑より)

この様に関節について説明されていますが、ここで取り上げる関節とは、一般的な可動関節の事を言います。

関節は関節包(かんせつほう)と呼ばれる袋に包まれています。この袋の中で様々な方向に関節は動きますが、その可動性のことを関節可動域と言います。

この関節可動域には、2つの範囲がありまして、1つ目は随意運動(自分の意志で動かせる範囲)の自動的可動範囲があります。この範囲の動きを、構成運動ともいいます。

2つ目は通常の随意運動では起こり得ない運動で、例えば随意運動に抵抗が加わったときに起こり、関節の構造的な許容限界まで動く運動です。また筋肉が完全にリラックスした状態で、他動的にのみ起こる関節面の動きで、離開(りかい)や滑りと呼ばれるものです。この動きは他動的可動範囲または、関節の遊び(joint play)とも呼ばれ、この範囲の運動を副運動と言います。

ちょっと専門的になりましたが、おわかりになりましたでしょうか? 

たぶんわかりずらいと思いますので具体的に説明しますね!

肘関節を例にすると、肘は主に屈曲と伸展の可動性があり、可動域には個人差がありますが、屈曲は約145度で、伸展は約5度となっています。(上腕と前腕がまっすぐな状態を0度とした場合)

自分の意志でひじを伸ばしていくと0度位のところまでは伸びると思います。これを自動的可動範囲と言い、この範囲の運動を構成運動と言います。

実はここから先にまだ伸ばせる可動範囲があるのです。古流柔術や柔道の関節技で腕挫十字固(うでひしぎじゅうじがため)という技があります。この技は相手の肘関節を逆に伸ばして極めるもので、自分の意志で動かせる範囲を超えて、他動的可動範囲のいわゆる関節の遊び(joint play)の領域まで無理やり伸ばすことになります。

この関節の遊びの範囲を超えると、生理的な可動範囲の限界を超えてしまうため、腱の断裂や筋々膜の損傷、骨折などが起き、関節が破壊されてしまいます。

これを防ぐために、人間には「痛み」の感覚が備わっています。痛みを出すことでそれ以上関節が伸びないように警告しているのです。

つまりこの関節の遊びがあるから、全ての関節が痛みもなく滑らかに動かせるのです。もし関節の遊びが無かったら、関節を動かすたびに痛みに襲われ体を動かすこともままならなくなります。

実際の臨床の現場で、肩や膝などの関節の痛みを訴える患者様の状態を調べると、特定の方向への関節の可動性の減少がみられます。特に関節の遊びの減少または消失によって関節の痛みが出ているケースが多々あるのです。

この関節を施術して正常な関節の遊びを取り戻すと、関節の痛みは消失するのです。この様に関節の遊びと言う、僅かな可動性の減少が、耐え難い痛みとして発現するのです。

遊びって大事ですね!

車のハンドルも僅かな遊びがあるお蔭で、運転しやすくなっています。もしハンドルに遊びが無かったら、まっすぐ走らせるだけでも一苦労だし、恐らく事故を起こしてしまうと思います。

遊びとは別の表現をすれば、「ゆとり」や「寛容」、「柔軟性」とも言えますし、「間」とも解釈できます。

私の治療院では、診断の要としてキネシオロジーテストを行いますが、あらゆる面で「ゆとり」や「余裕」がないと、キネシオロジーテストの診断結果も間違ったものになってしまいます。

関節は、骨と骨とのつなぎ目で、関節腔という隙間が空いています。この隙間のお蔭で関節は動けるので、「間」は大切です!

話しがちょっと脱線してしまいますが、歌手の野口五郎さんが以前テレビで「間」について発言していました。野口五郎さんと言えば、私の世代なら知らない人がいない新御三家(西城秀樹、郷ひろみ)の一人で、歌もさることながら、駄洒落などで人を笑わせることにも長けています。

この野口五郎さんが、『カックラキン大放送!!』という番組で、堺正章さんや、井上順さんなどから笑いの「間」を学んだと言っていました。この「間」によって人を笑わせることができるようになったそうです。

そして、野口五郎さんは次のように言っていました。

笑われる人は沢山いるが、笑わせる人は少ない。

関節も、車のハンドルも、人間関係も「遊び」「寛容」「ゆとり」「柔軟性」「間」がとても大切なのがわかっていただけましたでしょうか?

「間」が無くなると「間抜け」になってしまいますので、私も間抜けにならない様に、遊び心を持って生きてゆけたらと思っています。

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