寿命のはかなさ
旧約聖書の創世記には、その当時の人間の寿命が書かれています。もともと不死であった人間が、エデンの園の中央にある「善悪を知る木」から取って食べたので、「死」というものが与えられ、初めて寿命が与えられました。
主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。 ( 創世記2章16節~17節 )
聖書に登場する最初の人類は、アダムとエバである。アダムは930歳まで生きたとあります。聖書にはエバの寿命に関する記載がありませんので、エバが実際にいくつまで生きたかは不明です。
カインとアベルの後に生まれた息子セツは912歳。一番の長寿はメトシェラという人で969歳。
人間が超長寿だったのはノアの箱舟以前までで、それ以後は少しずつ寿命が短くなっていきます。
ノアは950歳まで生きますが、ノアの息子の一人セムは500歳まで。
孫、曾孫(ひまご)、玄孫(やしゃご)までは400歳台まで生きますが、次の代になると急に200歳台になります。
またノアから十世代以上下ると、120歳前後になっていくのです。
モーセは死んだとき、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。(申命記34章7節)
モーセは120歳まで生きたのですね。創世記の頃から比べたら短いと思いますが、現代の我々と比べるととても長生きです。
また、詩篇90章10節に以下のような聖句が現れます。
われわれのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。
ここでようやく現在の私たちと同じくらいの寿命になります。面白いのは、詩篇90章は「神の人モーセの祈り」と呼ばれるもので、作者はモーセ自身といわれています。ということは、モーセはこの当時の人間の寿命を70~80歳と述べているのですが、自分は120歳まで生きていたのです。
人間五十年

織田信長が幸若舞『敦盛』の「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」という一節をよく舞ったことは有名です。
下天とは六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界)のうち、天界の最下位の世界(六欲天)で、六欲天の一日が人間界の五十年に当たり、六欲天の定命は五百歳、人間界の九百十二万五千歳に当たるということです。
「人間五十年」を現代語に訳すと以下のようになります。
『人間の寿命は五十年。下天の定命に比べると、夢幻のようにあまりにも儚いものだ。
一度生を授かっても、この短い命、誰もがやがては消滅してしまうものだ』
これは、もともと源平の一の谷の戦いで熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が言った言葉です。


一の谷の戦いで源氏に敗れた平氏は、船にのって海へと逃げていきます。そんな中、熊谷次郎直実は沖の船を目指して馬を泳がせている立派な武将に 声をかけました。
「そこへいかれるは平家の、御大将と見受けたり、敵に背を見せるとは卑怯であるぞ、ご勝負あれ」
この言葉に、名誉を重んじる武士である敦盛は、「おう!」とこたえ、熊谷の待つ浜へと引き返し、結局は熊谷に討たれてしまうのです。
逃げることもできたのに、敦盛はなぜ引き返してしまったのかと疑問に思う方もいるでしょうが、誇り高き武士である敦盛に、それはできなかったのでしょう。
キリスト教を日本に伝えたフランシスコ・ザビエルは、日本人のことを次のように記しています。
「日本人は礼節を大切にし、一般に善良で悪い心を持たず、何よりも名誉を大切にする。人々は一般に貧しいが、日本人は貧しさを恥とはしていない、誇りを失うことを恥と考えている」。
直実は源頼朝に「直実は日本一の剛の者だ!」と褒め称えられた武士でしたが、我が子とほぼ同じ年の平敦盛を討って以降、直実から勇ましい雰囲気は失せていき、その後出家してしまいます。
1193年頃、直実は、当時、京都に浄土宗を開いた法然上人の弟子となり「法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)」という名を与えられます。その後、蓮生は法然上人に「坂東の阿弥陀仏」と称えられるまでになりました。
「人間五十年」にはこのような経緯があるのですが、直実の思い、人の世の儚さ、無常観を詠ったものだと思います。
しかし、信長の解釈は全く違ったもので、「人の世は儚く短いものだ、だからこそ死を恐れず短い人生を思う存分生きようではないか」というものでした。今風にいえばポジティブシンキングといったところです。
因みに直実は享年67歳。信長は本能寺の変で無念の死を遂げ、享年49歳と伝えられています。
日本人の平均寿命の推移
日本人の平均寿命は、戦後、大きく伸びています。寿命が延びたということは、同じ年代でも若くなったということです。確かに私が子供の頃の60代と、現代の60代とでは見た目の若さが違います。昔の70代といえば、腰が曲がり顔には深いしわが刻まれている方を多く見かけましたが、今その様な方は少なくなっています。
例えばこんな話があります。漫画『サザエさん』の父親・磯野波平は、原作では54歳という設定になっています。今の私と3歳しか違いません。波平の妻でサザエさんの母にあたる磯野フネは50ゥン歳です。どうですか、皆さんも驚かれたと思います。
続いて主人公のサザエさんは、24歳で、息子のタラちゃんを産んだのが21歳のときです。夫のマスオさんは28歳、いとこのノリスケさんは24~26歳、ノリスケさんの妻・鯛子さんは、22歳、お隣の伊佐坂難物さんは60歳という設定になっています。
サザエさんの連載が始まったのが1946年(昭和21年)だそうですので、この当時の日本人の平均寿命と、年齢的な外見を反映していたと思います。
これから比べると、現代のサザエさんはいったい何歳が妥当なのでしょうか? 現代人は確実に若くなっているのですが、その主な要因は食生活の改善にあると思います。
栄養状態の改善が老化と寿命に密接に関わっているのです。栄養状態が長期的に悪いままだと、細胞の損傷に対する修復が上手くいかず、老化が早まってしまうと考えます。昔から見れば豊かになった日本ですが、どんな食べ物を選ぶかは、各自の判断に委ねられています。(選べるだけ幸せですね!)
肩こり・腰痛と加齢による変化
現代人は若くなったのですが、それでは肩こりや腰痛との関係はどうでしょうか。加齢により肩こりや腰痛は増加してきます。
肩こりや腰痛は、何歳でも起こりうるのですが、加齢による症状も確かにあります。
からだの構造上、首の骨は、頚椎(けいつい)と呼ばれる骨が7個重なっています。頚椎の間には、クッションの役割りをする椎間板(ついかんばん)があるのですが、椎間板には血管がないため20歳位から水分量は低下してきます。椎間板の老化は20歳から始まっているのです。
椎間板は圧迫やねじり等のストレスを受けやすい部分で、年齢とともに椎間板の水分量が減る→年齢を重ねると首がなめらかに動かせなくなる→頚椎の関節等に負荷がかかる→首から肩、背中の筋肉が緊張し、血液循環が悪くなる→痛みが出る……という悪循環になりやすいのです。
腰痛も同じで、やはり椎間板の加齢による変化(退化・老化)により、腰痛や坐骨神経痛、脊柱管狭窄症などになりやすくなります。
そこで現代人にこの様な退化病、老化病が減っているのかというと、肩こりや腰痛、脊柱管狭窄症などはかえって増えているような気がします。それは生活様式の変化により、デスクワークが増え、パソコンやスマートフォンなどの機器を操作する姿勢でさらに首や腰のストレスが増えたからです。
栄養状態や衛生状態は昔と比べてはるかに向上しましたが、背骨や椎間板にかかるストレスは若年から老年まで増えてきています。
そして便利になったがゆえに、体を使わなくなり運動不足の結果、筋力低下やメタボリックシンドロームなどに悩まされています。
いつまでも健康で若々しくいるために、皆様も今の生活習慣を改善し運動習慣を見直してください!
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肩こり・腰痛・坐骨神経痛・椎間板ヘルニア・ぎっくり腰・めまい・頭痛・脊柱管狭窄症・自律神経失調症・五十肩・膝の痛み、股関節の痛み等、様々な症状の根本原因を施術する整体治療院 。あん摩・マッサージ・指圧師の国家資格取得者「札幌 キネシオロジーの谷井治療室」です。
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