病と心

今回ご紹介する書籍は、「あなたが信じてきた医療は本当ですか?」医師の田中 佳(たなか よしみ)先生のご著書で、評論社より出版されております。

前回のブログ「あなたが信じてきた医療は本当ですか?」と、「あなたが信じてきた医療は本当ですか? 2」の続編です。

病は気から、体と心は繋がっている」という言葉をよく耳にしますが、病気で苦しんでいる方々へこれらの言葉はなかなか届きません。

ご自身の経験を思い浮かべてください。心が乱れると、体が乱れます。例えば、人前で話をするとき、ものすごく腹が立ったとき、感動したとき、悲しいとき、これらの大きな喜怒哀楽の変化は、同時に体に大きな変化をもたらしています。

血圧や心拍、発汗や涙、目まいや手の震え、自分の意志とは無関係に自律神経が起こす現象です。

何らかの原因でひどく心が乱れ続けた状態を「過度のストレス状態」と呼び、胃に穴が開くことさえあります。

このような状態が長く続けば、自律神経失調症になってしまうのです。

そうさせないために必要なことは、心の穏やかさを得ることです。

では、心の平穏とは何でしょうか?平穏とは、平和や安らぎ、癒しなどです。この状態は、何とも戦っていない状態です。これは自律神経の働きから言えば、副交感神経優位の状態です。

ただし心の平穏を得るには、一朝一夕にはいきません。

ジェームズ・アレン
ジェームズ・アレン

イギリスの作家、ジェームズ・アレンも次のような言葉を残しています。

心の穏やかさは、智恵がもたらす美しい宝石です。それは、長きにわたり忍耐強く自制心を培ってこそ得られるものです。

海外の研究で面白いものがあります。ボランティアをした人と、しない人の死亡率を調べたところ、前者の方が死亡率は少なかったという結果があります。

これらの調査結果が示すことは、なんと、人のために生きる喜びによって健康になる仕組みが我々の身体にはそなわっている、ということなのです。他人を幸せにすることで、自分が幸せになる仕組みがもともとそなわっていることが解明されたのです。

まるで「人のために生きなさい」と言われているかのようですね!

そこで著者は言います。がんを患っている人は決して自己中心的とは言えません。それどころか自分を犠牲にして、会社や家族のために尽くしています。言い換えると、人のことを大切にしても、自分を全く大切にしていない、むしろ自分をないがしろにしています。

自己犠牲が病気を治すというのであれば、日本が主要先進国におけるがんの死亡者数ダントツ1位ということは、どう考えたらよいのでしょうか。

著者が患者さんと会話して思うことは、自分を消して必死に「良い人」であろうとしているというのです。誰かのために良い人であろうとしていることは、既に「自分の心と現実がずれている」ということです。

本心は自分の欲求を優先したいのに、現実には「犠牲心の美徳」がそれを許さない。自分のエゴを消して偽りの平和をもたらすことで、心は歪んでいきます。

この歪みが解消できずにいると、病に繋がります。ストレスや葛藤が極端になると、ギャンブルやアルコール、薬物に逃れたりする場合もあります。

ただ我々は、無意識に旅行やスポーツ、カラオケなどで、この歪みを解消しようとしています。

このような時におすすめなのが、自然の中に癒しを求めることです。脳が活性化され、自律神経が安定して、自己治癒力も高まっていくのです。

とは言っても人それぞれ癒される状況は違うので、映画を観る、新宿2丁目でおねえと人生を語るなど、自分が一番癒されることを実践していくことです。要するに、「どこで?」「誰と?」「なにを?」したら癒されるかを考え行動していくといいのです。

エミール=オーギュスト・シャルティエ(アラン)
エミール=オーギュスト・シャルティエ(アラン)

アランも「幸福論」の中で、情念にとらわれるな、行動せよと言っています。情念とは不安、悲しい、イライラ、落ち込みなどの感情や思考のことで、この様な感情にとらわれず、体を動かして行動することの大切さを説いているのです。すなわち、情念は行動によって制御できると述べているのです。

頭で考えるだけでなく、実際に行動してみることです。「あぁ~~、気持ちいい、楽しい、心地よい、美味しい」をやってみないと気づけないのです。

この幸福感が身体に良い脳内物質を出し、脳が活性化され、自律神経が安定して、自然治癒力も高まっていくという仕組みを、オンにするのです。

病の程度が重ければ重いほど、病にとらわれてしまうのは仕方ないことだと思います。知らず知らずのうちに視野が狭くなってしまいます。

バートランド・ラッセル
バートランド・ラッセル

ラッセルも「幸福論」の中で、不幸の原因は自己没頭であると述べています。意識が過度に自分自身や病気のことに向きすぎると結局は、不幸になってしまうということです。

そのためには意識を外に向け、自分の病気に執着しすぎないことです。自分の人生の目的が、病気治しになってしまうと、逆に幸せではなくなってしまうのです。

腰痛でも肩こりでもそうですが、やはり症状のあるところだけに意識が行き過ぎるのも問題で、この様な患者さんは治りが遅いことが多いのです。

また、明らかに改善してきているのに、問診で改善したことには一切触れず、残っている悪い箇所のことばかりを訴える人も治りが悪い気がします。

腰痛や坐骨神経痛などの症状にとらわれ過ぎることは、そこに自己没頭(執着)してしまっているということです。

自分の意識が、自己没頭状態に陥り視野狭窄になっているときは、大自然や大宇宙のように意識を外の大きな世界に向けてみることです。そうすると、自分の悩みがそれに比べたら、いかに小さいことかが見えてくるので、悩み苦しみの軽減につながると思うのです。

著者の田中医師は、「幸せも不幸もすべて自分が決めている」と言っています。そして、それは「認識の仕方で変わる」と述べています。

また著者は、「泣きたいときは泣いていいし、怒りを覚えたら怒っていいんです。駄目なら駄目で仕方がないと開き直るのもいいんです。封印して抑圧することが健全とは言えませんから」といっています。

そして、「病気の時くらいは、甘えちゃいましょう」とも述べています。

さらに、大病で悩んでいる人、勝手にあきらめないでください。「治る可能性は常にある」という希望を持つことが大切と言っています。

結局は、この本のタイトルの「 あなたが信じてきた医療は本当ですか? 」というところを、「あなたが信じてきた信仰は本当ですか?」という言葉に変えて考えてみたらよいと思います。

現代西洋医学は現代科学に裏打ちされたもので、その現代科学も科学信仰と呼ばれるように、その科学が万能と信じている人もいます。その結果、現代医学も万能と信じてしまうことも無理もないと思います。

ジョン・スチュアート・ミル
ジョン・スチュアート・ミル

J・S・ミルが「自由論」で「人間には思想と言論の自由が必要ある」と言っています。少数派の意見や、一見間違っていると思われる意見の中にも、もしかしたら正しい意見が含まれていることもあるのではないでしょうか?

ただ世間では、一般大衆が信じている意見が正しく、それに異を唱えることはタブー視され、ソクラテスやキリストの様に、時として迫害を受けてしまうこともあるのです。

自分の頭で考えないで、ただメディアや権威から与えられた情報を鵜呑みにしていては、なかなか真理には到達できないと思います。

医師の尊厳

赤ひげ先生

1965年(私が生まれた年です)に公開された「赤ひげ」という映画では、成長していく医師と貧しい暮らしの中で生きる人々との人間愛が描かれていました。

著者は、今この様な赤ひげ先生がいなくなった理由は、医師の尊厳をもっていないからだと言っています。

尊厳をもてなくなった理由の一つが、治療ガイドラインに縛られていることだと述べています。このルールがあるせいで、ある意味で医師は守られ、守られるがゆえに弱くなり、「一人一人の医師としての想像力を失う」結果になっているというのです。

昔の医者は、がんじがらめのルールや制限がない分、自由や尊厳というものをもって、臨床の現場でも、想像力が発揮できたのだと思います。

では何故このようなガイドラインができたのでしょうか。それは医師と患者を守るうえで仕方がない部分もあると思うのですが、医師を守るという意味合いが強いのではないのでしょうか。

治療ミス、医療過誤は医者が人間である以上、残念ながら起こってしまいます。

ハンムラビ法典が記録された石棒
ハンムラビ法典が記録された石棒

ハンムラビ法典に医療過誤を犯した医師に対する処罰がすでに規定されています。同法典の第218条に「手術により患者が死亡した場合、医師の両手を切断するものとする」と書かれています。

ギリシャ時代になると「ヒポクラテスの誓い」に医師の患者に対する責務が列挙された後に「何よりも、患者に対し害をなすなかれ」と記載されています。これは医療者が患者に害をなしうる存在であることを認めているとも取れます。

ローマ時代の博物学者大プリニウスは「医師には用心してかからないといけない。医師というものは、患者の命を犠牲にしてその技量を学んだくせに、いざ自分の治療の誤りが患者に害を与えると、悪くなったことを患者のせいにするからだ」と書き残している。

この様に「医療者は誤りを犯す存在であってはならない」という教条主義に囚われ「完璧」を求めることで、医療過誤を防ごうと努力してきました。いわば、不完全である人間、神ならぬ者が神になることによって、医療過誤を防ごうという愚を繰り返してきたのです。

「医療者は誤りを犯してはならない」という教条主義は、医療過誤を「隠ぺいする」ということにもつながりました。

アメリカ医師会が、創設時の倫理綱領に「同業者の医師を批判してはいけない」、「医師同士の討議内容を患者に知らせてはいけない」という規定を設けたことからもわかるように、医療従事者の組織は「ギルド」として同業者の権益を守ることを第一とし、患者の安全を守るという使命は二の次になってしまったのです。

医者は患者の命を預かっているため、何かあるとすぐに処罰の対象になりやすいのも事実です。そのため、自分を守らないと、やってられないという気持ちもわかります。

例えば、2004年に起きた「大野病院事件」もそうですが、正当な医療行為を行ったとしても、結果として患者が死んでしまえば「逮捕・起訴」ということにもなりかねません。

この事件をきっかけに、小さな病院では分娩の扱いをやめたりといった全国的な「産科離れ」が起きました。産婦人科医の数も減り、04年は2万326人だったのが、06年12月31日時点では1万9184人で、千人近くも減ったのです。医者の立場からしたら、これで逮捕されるなら、やってられないという結果でしょう。

この裁判は、08年8月20日、業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科医に対し、無罪判決が福島地裁で言い渡されました。

患者も人間であると同時に、医者も人間なので、これからは、お互いが良い方向に進める医療が出来上がっていくことを望んでいます。

【著者紹介】
田中 佳(たなか よしみ)
1960年12月19日生まれ
東海大学医学部を卒業後、同大学附属病院脳神経外科助手を経て市中病院にて急性期医療に長年携わる。
大学在任中に悪性脳腫瘍に関する研究で医学博士を取得。
日本脳神経外科学会認定専門医・日本抗加齢医学界認定専門医。
現在は、健康になるための方法を伝える講演活動を、全国で展開している。

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肩こり・腰痛・坐骨神経痛・椎間板ヘルニア・ぎっくり腰・めまい・頭痛・脊柱管狭窄症・自律神経失調症・五十肩・膝の痛み、股関節の痛み等、様々な症状の根本原因を施術する整体治療院 。あん摩・マッサージ・指圧師の国家資格取得者「札幌 キネシオロジーの谷井治療室」です。

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