老病死に勝つブッダの智慧

人間がこの世の中を生きていくうえで、最も切実な願いとは「健康」についてではないでしょうか。

今回ご紹介する書籍は「老病死に勝つブッダの智慧」、アルボムッレ・スマナサーラ著、サンガ新書から出版されています。

アルボムッレ・スマナサーラ長老は、スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)の長老です。

まず現代人の病気の原因の90%以上がストレス(心因)であるという説もあります。医学が進歩しても皮肉なことに病人の数は日増しに多くなり、病気の種類も多岐にわたり、手に負えなくなっているのも事実です。

私も実際に臨床の場で、腰痛肩こりなど筋骨格系の問題が、実はストレスが原因の多くを占めているであろうケースに良く出くわします。やはり心と体は不可分なのですね。

お釈迦さま(ブッダ)は、生涯ほとんど病気らしい病気を患ったことがありません。そして、80歳という長寿を全うされています。お釈迦さまが生きていた今から2500年前という時代を考えれば、奇跡的な長寿とも言えます。

「病気と心の因果関係」という分野の心理を理解すると病気を治すことの論理が納得されることでしょう。

それでは、お釈迦さまが説く真理の世界へ皆様をご案内いたします。

逃れられない老いと病

我々の全細胞は、一人の例外もなく、一瞬一瞬老化しています。その流れを止めることは誰にもできません。お釈迦さまはこの、歳をとる、老化する、死に向かって生きていくという現実をそのまま素直に認め、認識できる人こそ、この世で最も幸せに生きられる人であると言っています。

「人は老い、人は必ず死ぬ」ということは、絶対的な自然の法則なのです。絶対に不変である法則に抗えば、不老長寿などの、むなしい願望が打ち砕かれる結果となるのは自明のことでしょう。

人間にとっての本当の幸福は世俗的な幸福ではなく「ずっと心が落ち着いていられる」などの内面的な幸福です。

兼好法師
兼好法師

物質的な刹那的な幸福を求める愚かさを、兼好法師は『徒然草』の中で以下のように記しています。

名利につかはれて、しずかなるいとまなく、一生をくるしむるこそおろかなれ
— 『徒然草』第38段

健康は何のために?

普通の人は「病気になりたくない」「健康でありたい」と願い、健康になることを人生の目的としていることもあります。

ところで、あなたは「健康になって何をするのですか?」と聞かれたらどう答えますか。

実はただ健康になるだけでなく、健康になって何をするかによって充実感が生まれます。そして、その充実感を人は幸福と呼んでいるのです。

私の整体治療院でも、腰痛や首や肩のこり・痛みがなくなることも大切ですが、もっと大切なことは、「その痛みがなくなったら何をやりたいですか?」ということです。

つまり、ただ健康を願うのではなく幸福を求めることです。充実感を得たい、落ち着いて生活をしたいと願い、心の中の苛立ちや、不安や、ありとあらゆる葛藤や、嫉妬、怒り、競争心、悩みをなくして、幸せになってほしいと著者は述べています。

病気という現象

まずことわっておきたいことは、宇宙の法則による体の変化で、その流れによるものは病気ではないということです。例えば歳をとると体がだんだん弱って来ますが、これは病気ではありません。髪の毛も白くなって抜けていくし、関節も硬くなり、皮膚もシワが増えたるんでくるかもしれません。これらは自然の変化の一つで、決して病気ではありません。

反対に異常現象としての病があります。ガンだとか肺炎だとかを起こして体本来の機能が働かなくなるのが「病気」と呼ばれるものです。この場合、医療的、人為的に手を加える必要が出てきます。

この様に治る必要のない病気と、治療すれば治る可能性のある病気の二つがあるのです。

ただし、老化現象がきっかけで、強い痛みや炎症などが起きているものは治療の対象になります。脊柱管狭窄症などの退行性疾患などがそれにあたります。

人間はある意味で愚かなので、どうあがいても抗えない老化や死ぬことから逃れようと必死になって悪あがきをしてしまうのも事実です。

日本にも徐福伝説や竹取物語などの不老不死に関するお話もあり、また現代では最先端技術を駆使して、人間の寿命を延ばすことに躍起になっています。

しかし、長生きすることがそのまま幸せにつながるのかは疑問です。

病気と心、心と体

子供は今を生きているからこそ大人よりも明るいと言われます。私たちは知らない間に、徐々に、この明るさを忘れていってしまうのです。

自然の法則による本来の病気ではない病気に対する仏教的な立場は、治すのではなく、乗り越えて、明るく幸福に生きることなのです。

大人になるにつれ暗くなるのは、ある意味で「心の老化現象」と言えます。しかしこの老化現象は防ぐことができます。そのためには、子どもと同じように、「今をしっかり生きる」ことが大切です。言葉を変えると「変化を楽しむ」ということです。「歳をとることを楽しむ」と言ってもいいでしょう。

ジャネの法則によると、大人より子供の方が時間が長く感じ、山の高さも公園の広さも大きく感じるのです。子供の様に日々新たな感動を感じ、今この瞬間に生きていれば明るく楽しく生きられるのではないでしょうか。

どんな宗教でもいいのですが、特に仏教(宇宙の真理)の勉強をするようにと著者は述べています。これにより、脳細胞がどんどん活性化して元気になるそうです。

そもそも人間は、即物的、唯物論的な幸福だけでは満足できず、心理を求めるようにプログラムされているように思います。

お釈迦様の健康法

お釈迦様は、健康のために守るべき四つのことを教えています。まず一つ目が「自分の体のシステムに合った食べ物を食べる」です。ただし、何を食べるかにあまり神経質になると、それによってまた別の病気をつくってしまいますので、健康食品などに血眼になって騒ぎ立てるのではなく、落ち着いて体にいい食べ物を選んで、適度に食べればいいのです。

二つ目が「自分の体に合った環境を考える」です。暑さとか寒さとか湿度など自分の体に合った環境を考えることが大切です。

三つ目が「適度に運動する。そしてその運動を怠けない」です。運動は適度にすることが大切です。逆に過剰な運動は害になります、スポーツ選手やお相撲さんなどは意外と健康を害していることが多いのも事実です。

四つ目は「常に明るい心を持つ」です。明るい心は病気を遠ざけます。

それでも病気になったときは、無理せずお医者さんにかかってください。

精神科医の斎藤茂太さんが、長寿を保っている人たちを観察し、長寿を保てる人の特徴として「心に余裕のある人々である」と結論づけています。

斎藤さんは心の余裕を、具体的にどういうものかを次のように述べています。

人づきあいがうまい。(友人が多い)
常に前向きの姿勢を持っている。
本業以外の趣味を持っている。
他人のせいにしない。
好奇心が旺盛。
ストレスを恐れず、むしろ楽しむ。
仕事を道楽と心得る。
ユーモアを忘れない。
何事も後悔しない。

さらに、そのためにどうしたらいいかの処方箋として、STRESS(ストレス)の六文字で表現して次の項目を上げています。

S・・・スポーツ
T・・・トラベル(旅行)
R・・・レクリエーション
E・・・イート(食べることを楽しむ)
S・・・スリープ
S・・・スマイル(笑う患者ほど治りが早い)
これらの様に、心に余裕を持たせるには物事を楽しむこと、遊び心をもって行うことに通じます。

以前に書いたブログに「関節にも遊びは大切です」というものがあります。ここでも書いたように、骨格の関節も、人の心も遊びが大切だと思います。

カイロプラクティックの考えに、背骨の椎骨の一つ一つの動きが少ない(遊びがない)個所を、フィクセーションと呼び、治療の対象とする場合もあります。全身の関節には適度な遊びがあることが正常です。腰痛も首や背中の痛みも、四肢の関節の痛みも、関節の遊びが減少するにつれて増加してしまいます。人の体にも遊びは重要なのです。

遊びとは別の表現をすれば、「ゆとり」や「寛容」、「柔軟性」とも言えますし、「間」とも解釈できます。

心と体の密接な関係

心の状態は、体の状態と密接な関係があります。健康のためには、明るい心、謙虚な心が必要です。逆にどんな形であれ高慢は体に悪い影響を与えます。それは猛毒です。自分の心の毒で自分自身がやられてしまうのです。

お釈迦様は嫉妬、怒り、高慢、苛立ち、悩み、憂い…そうした心の働きは全て猛毒だと言っています。ですからいくら素晴らしいお医者さんの治療を受けても、病気がなかなか良くならないときは、自分の心の毒にあたって症状が悪化していないかを振り返ってみることも大切です。

逆に心が清らかな場合は、病気もすぐに良くなることが多々あります。

物質的なエネルギーと精神的なエネルギー

著者は、体は心によってつくられていると述べています。体とはヤドカリの貝殻と同じで、一時的に心が使っている物体にすぎないのです。

体は酸素や栄養など物質的なエネルギーだけでは生き続けることができません。もう一つ心のエネルギーが必要なのです。

では、心とは何でしょうか。心は魂ではありません。心は精神的なエネルギーです。心のエネルギーは強烈で、食事から全く栄養が摂れなくても、心のエネルギー次第で、私たちはかなりの時間生き続けることができます。

心の汚れと病気

心が汚れて毒になったら、当然体は壊れます。ではどのような心の働きで心は汚れるのでしょうか。一番汚れるもとは、高慢(人よりすぐれていると思い上がって、人を見下すこと)です。そして高慢から怒りが生まれます。怒りというのは、ほんのかすかな怒りであっても、体に毒として残り病気のもとになります。

お釈迦さまも心の三毒として、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を上げ戒めています。

  • 貪( とん )貪欲(とんよく)ともいう。むさぼり(必要以上に)求める心。一般的な用語では「欲」・「ものおしみ」・「むさぼり」と表現する。
  • 瞋 (しん )瞋恚(しんに)ともいう。怒りの心。「いかり」・「にくしみ」と表現する。
  • 癡, 痴( ち) 愚癡(ぐち)ともいう。真理に対する無知の心。「おろかさ」と表現する。

宇宙の流れは、この貪・瞋・癡(とん・じん・ち)とは逆の流れに進んでいると思います。愚痴や不平不満、怒りなどの感情は明らかに宇宙のリズムとは逆行しています。その結果、健康も運命も悪くなってしまうのです。

心を清らかにする慈悲の瞑想

言葉には力(エネルギー)があります。きれいな言葉は心を清らかにします。 「生きとし生けるものが幸せでありますように」と何回も何回も言い続けて、慈悲の心と一体になるように、慈悲以外の感情は持ち合わせないように、なってほしいと著者は述べています。

慈悲の瞑想を続けると、自分の中に強烈な、特別な、万能薬のようなエネルギーが入ってくるようになり、病気を打ち消すエネルギーが生まれると述べられています。

慈悲の瞑想の言葉


私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
私の親しい生命に悟りの光が現れますように
私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

私の嫌いな生命が幸せでありますように
私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように
私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

慈悲の瞑想の詳しいやり方は、「日本テーラワーダ仏教協会」のサイトをご覧ください。

瞑想と関連して「痛み」について説明しますと、心の状態を観ることによって病気が治るそうです。たとえば体の調子が悪く、どこかが痛いときに、「痛み、痛み」と痛みをそのまま明るい気持ちで観ていると治るそうです。

この時に、痛みを治そうと必死になって「痛み、痛み」と観ても治らないのです。そのまま、ありのままに観察する。そうすると痛みは自然に消えてゆくと著者は述べています。

私も臨床の現場で、腰痛や首の痛みなどを治療する立場ですが、整体治療に良く反応して腰痛や首の痛みが早く治る患者さんと、なかなか治らない患者さんがいることに気づきます。

治りが良い患者さんは、心に余裕があり必要以上に腰痛や首の痛みなどにとらわれていない方です。痛みにより精神的にパニックになったり、ノイローゼになると心の中で起こる不安や怒りなどの感情から、新たなる腰痛や首の痛みが起きてしまい難治化してしまうと思うのです。痛みのコントロールにも心の安定は大切ですね!

この様に慈悲の瞑想のような思考や生き方が、結果的に宇宙のリズムとともに生きていくということとなり、健康も運命も好転していくのではないかと思っています。

人生というものは

人間が苦しむ原因の一つが、生きることに対する未練にあります。歳をとりたくない。生きたい、死にたくないという執着です。

初期仏教では、悟りを開いた人のことを阿羅漢(あらかん)といいます。阿羅漢になった人は、もう欲望はありません。

「阿羅漢は欲望もないのに何のために生きているのでしょうか」…そう質問された著者は、「別に目的があって生きているのではなく、ただ死ぬまで待っているだけですよ」と答えたそうです。

実はこれが理想的な生き方なのです。そこにはストレスもなければ、病気と闘う怒りの心もありません。

我々人間は、生きるために一生懸命に闘っています。戦争のように必死ですが、いくら闘っても勝てません。生きるためにいくら闘っても、結局最後には死ぬからです。人生は本当に短いので一瞬でも苦しむ必要はないのです。

「人生は全て苦であり虚しいことを理解して、物事にとらわれず、明るく、明るく、明るく、今の瞬間瞬間を充実して生きる」このことを覚えておきましょうと著者は述べています。もう少し簡単に言えば、「今の瞬間だけ明るくニコニコと元気でいることができれば、それで満足」でいいそうです。

人生は無常だ、人の体は不浄だ、人生はそれほど真剣に考える必要はない、と明るく捉えると、心がリラックスします。心がリラックスすると、たとえ病気になっても治りやすくなるのです。

細菌やウイルスを嫌わない

お釈迦さまは、「微生物から巨大な動物までみな同じ生命であって、どれとても敵ではない」と言います。人間だけがウイルスなどをやっつけようと必死になっています。そうした行為は一生懸命病気になろうとしているようなものです。生命は競争ではなく共存しなくてはなりません。

ウイルスによる病気に腹を立てている人がいるならば、やめてください。病気に対する怒り、敵対心をきれいに消してください。生命はお互いに助け合っていることを知り、自分の体は単独の生命ではなく数えきれない多くの生命の塊だと理解すれば、問題はなくなります。

昔から「バカは風邪をひかない」と言いますが、不安や心配、恐怖などを捨て、明るい心で過ごすと、案外健康で過ごせるのではないでしょうか。

病人の苦しみを和らげる

仏教では、「病人を看病することは、お釈迦さまのお世話をすることと全く同じ価値のある行為である」と言っています。健康な人は病気の人に対して、神仏に接するように、親切で丁寧な態度で接しなさいということです。

私も治療師の端くれですので患者さんに患者さんに接する際には、この心構えを忘れずにいたいと思います。

患者の心得

病気になった人の心構えとして、まず「看護の人に感謝の気持ち」を持つこと、そして、「自分自身のエゴ、わがままを捨てる」です。すると病気が治るだけでなく、幸せを生み出すのです。

自分の体という執着を捨てることが重要で、「自分」と「自分の体」を切り離し観察することです。

「私が病気だ」と思うのではなく「この体が病気だ」と観ることです。できたら病気という言葉も使わない方がいいのです。「この体がうまく作動しない。故障だらけの体だ」と体を客観的に観ることです。

病気になったら、「病気を治したい」と思うことはやめ、「この体はどういうものなのか」ということを悟ることです。お医者さんから言われた病名などはいったん忘れて、今自分が身体をどう感じるか観察することが大切です。

自分の体への執着を弱くすればするほど、病気は治っていきます。ですから自分は病気だということを忘れて、リラックスして、自分の状態を観察してください。

眠れなくて悩んでいる不眠症の方は、無理に寝ようとして焦らないでください。布団の中で目を閉じ今の呼吸を観察するだけでいいのです。これは呼吸を観察する瞑想です。

これで心も体も完全に休むことができ、不眠解消にとても効果を発揮してくれると思います。

病気になると、自分が本来持っている悪い性格が表に出てきます。わがまま、不満、不親切、人と仲良くできない、雰囲気を悪くする、人に当たるなどいろいろ嫌な性格が出てきます。

そうした悪い性格のことを、仏教では煩悩と言います。煩悩とは心の汚れです。心が汚れていれば、その心がつくる体も汚れてしまいます。

できるだけきれいな心を長く保つようにしてください。それによって病気は治る方へと向かいます。

病気の様々な原因

病気には様々な原因があります。以下のような要因があります。

  • 自分の心の働きによるもの…嫉妬や怒りなど、性格や態度が原因の病気
  • ウイルスや細菌によって起こる病気
  • 生き方によって病気になる…食べ物や住環境など
  • 生まれつきの遺伝子の問題
  • カルマ=業という自分の過去世の行為によって病気になる場合

この様に病気の原因は多岐にわたりますが、まずはこれらに対し、とにかく心を清らかにして、明るく慈しみの深い心をつくることが一番の対処法ですと、著者は述べています。

死を見つめ、生を生きる

人はいつかは必ず死ぬ存在です。

いつ死んでも悔いのないような人生を送ることと、常に死を意識し、受け入れ準備をしておくことがこの世の中を生きてゆくうえで大切な道となります。

そのためにも怒りや、わがまま、高慢、嫉妬、苛立ち、悩み、憂いと言った心の毒を、慈悲の心、清らかな心に変えていかなければならないと著者は述べています。

人それぞれが「死に接して、あなたはどうやって生きるのか」ということを問われているのです。

兼好法師は『徒然草』の中で、不老不死が不可能と解っていつつ、少しでも長く生きたいと思いながら、日々死から目を背け、今生の利益追求に奔走する愚かさを次のように述べています。

人間はアリのように集って、東西に急ぎ、南北に走って…夜になると眠り、朝がくると働きだす。何のためにそうした生活をいとなんでいるのか。ただ長寿を願い、利を求めてやむときがないのである。しかし老と死はまことに速くやってくる。そんな有り様で人生に何の愉しみがあるだろうか。ところが迷っている人間は、それを少しも気にかけない。というのは、名利におぼれて、死という人生の終点が近いことを考えようとしないからである…。
— 『徒然草』第74段

人はいつか必ず死ぬからこそ、今を大切に明るく生きることが大切なのではないでしょうか。

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肩こり・腰痛・坐骨神経痛・椎間板ヘルニア・ぎっくり腰・めまい・頭痛・脊柱管狭窄症・自律神経失調症・五十肩・膝の痛み、股関節の痛み等、様々な症状の根本原因を施術する整体治療院 。あん摩・マッサージ・指圧師の国家資格取得者「札幌 キネシオロジーの谷井治療室」です。

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