現状をどう思うか
今回のテーマは、健康と病気について考えてみたいと思います。健康とはいったい何でしょうか。また病気とは何でしょうか。
WHO(World Health Organization:世界保健機関)では、健康について以下のように記されています。
世界保健機関憲章前文 (日本WHO協会仮訳)
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。
これを見ると、かなり広範囲に健康についての定義がなされていますが、「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態」とはどのような状態なのでしょうか。私はこの定義から言えば、明らかに健康ではありません。
世の中の人々で、この定義のような状態にいる人がどれだけいるのでしょうか。「すべてが満たされた状態」というと、全てのコンディションがピークに近い状態にあると思いますので、この状態を常に維持してゆくというのは至難の業ではないでしょうか。
東洋の思想では、「陰極まれば陽となり陽極まれば陰となる」と考えます。ちょうど正弦曲線(サインカーブ)の様に移り変わるのが自然の摂理です。これは別の言葉で言えば、諸行無常とも表現できます。
鴨長明(かもの ちょうめい)は、「方丈記」の中で、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。・・・」と記しています。
森羅万象の全ては、変化変滅するということですので、健康の定義にあるような理想の状態がいつまでも続くというのは、ありえないということになります。
生きているということは、ダイナミックに変化し続けているということです。よって、健康の状態も変化してしまうということです。健康という平衡のとれた状態は、ある一時的な期間のみに許される状態で、この平衡が崩れることで、また新たなる平衡の状況が出来上がるのです。
手のひらの上で、傘や棒を立ててバランスを取って遊んだことがある方も多いと思います。健康の平衡バランスも同じです。平衡が保たれるためには、今の平衡を崩し、新たなる平衡状態を再構築するという作業を繰り返す必要があるのです。そのため、完璧な健康のまま、一生を無事に過ごせるということは、無いということが分かります。
そもそも、健康と病気を分けて考える方が間違いで、大所高所から見れば、どちらも同じ生命の営みの姿だと思います。
病気を忌み嫌うのではなく、次の健康への準備期間だと、考えるといいのではないでしょうか。また、病気という経験を通して人は成長するのではないかとも思います。WHO憲章前文にある様な、「すべてが満たされた状態」にあるとき、人間としての成長が望めるとは思えないのです。
修業時代にお世話になっていた治療院に、鉢植えの「君子欄:くんしらん」がありました。毎年きれいな花を咲かせていたのに、植え替えをして鉢を大きくしてしまったら、その後は一度も花を咲かせなくなりました。「すべてが満たされた状態 」をつくった結果、花が咲かなくなったのです。花は、その後に実を付けるための大切な準備で、子孫を残すための大切な営みです。
適度なストレスや危機感は、生物学的に必要不可欠なもので、これがなかったら、現在のような生態系が出来ていなかったと思います。
全てが満たされた状態ではいけないのです。人の健康や幸せは、その様な中にだけあるのではないと思います。
また、人間の欲望には際限がありませんので、実際のところ全てが満たされた状態などありえないのです。何かを手に入れ、満たされたと思った瞬間に、それらは陳腐化してしまい、また満たされない思いが出てきてしまいます。
外的な環境や物などによる充足感や満足感は、やがて色褪せていきます。
しかし、ストレスが強くかかり続け、バランスをとれないくらい歪みが強くなってしまった場合は、治療でバランスを調整してあげることは大切です。カイロプラクティックやオステオパシーの施術は、良い方向(身体が望んでいる方向)へバランスを調整する作用があります。
時としては、施術後に好転反応(瞑眩反応:めんげんはんのう)として一時的に倦怠感、眠気、下痢、痛み、発汗、発熱などの反応があらわれることもありますが、これとて体がよくなろうとした結果あらわれたものなのです。
中村天風
以前に読んだ、中村天風師の書籍にこんな話が載っていました。中村天風は、ヒマラヤの麓のカンチェンジュンガという所で、ヨガの大聖者であるカリアッパ師のもとで修行をしていました。実はこの時、中村天風は奔馬性肺結核に罹っていて、大変体調が悪かったのです。
その全ての状況を見抜いていたカリアッパ師が、毎朝、中村天風の元を訪れ「今朝の体調はどうか?」と尋ねるのです。
中村天風が、「今日は熱があって、頭がフラフラします」とか、「咳が止まらず息が苦しいのです」などと答えようものなら、その度にカリアッパ師から、杖で首が回らなくなるほど殴られたそうです。
そこで中村天風は考え、同じ質問をされた際に、「はい!元気です!」と答えたそうです。
それを聞いたカリアッパ師は、にっこり笑って、「それでよろしい」と言ったというのです。
中村天風師は、その後、自ら病気を治し、その経験をもとに財団法人天風会をつくって、その哲学を普及しました。
以下に、中村天風師の「座右箴言」をご紹介いたします。病気で悩み苦しんでいる方々のお役に立てれば幸いです。
『座右箴言』
私は最早(もはや)何事をも怖れまい。
それはこの世界ならびに人生には、いつも完全ということの以外に、不完全というもののないよう
宇宙真理が出来ているからである。
否、この真理を正しく信念して努力するならば、必ずや何事といえども成就する。
だから今日からは如何なることがあっても、また、如何なることに対しても、かりにも消極的な否定的な言動を夢にも口にすまい、また行なうまい。
そしていつも積極的で肯定的の態度を崩さぬよう努力しよう。
同時に、常に心をして思考せしむることは、人の強さと真と善と美のみであるよう心がけよう。
たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。
たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。
否一切の苦しみをも、なおたのしみとなす強さを心にもたせよう。
神と直接結ぶものは心である以上、その結び目は断然汚すまい事を、厳かに自分自身に約束しよう。
この座右箴言にある様に、「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい。」と、この様な心境になった時に初めて健康と言えるのではないでしょうか。
恒久的な健康の状態が無い以上、どんな状態でも健康と思う心持がまず大切だと思います。
そこで、WHOの健康についての定義を次のように書き換えたらいいと思います。
健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態であると、どんな状況でも心から思える状態をいいます。
いかがでしたでしょうか。それでは今日はこれで失礼いたします。
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