オステオパシー誕生秘話

オステオパシーはアメリカ、ミズーリ州のアンドリュー・テイラー・スティル(A・T・スティル)医師が1874年(※明治7年)に発表した手技による整骨医学です。
整骨医学といっても、治療目的は、背骨や骨盤の矯正だけではなく、全身の健康回復のための調整を第一義としています。
スティルは南北戦争の北軍の従軍医師であったが、二人の息子と養子を次々と髄膜炎によって亡くし、自分の無力さに嘆き、それから研究を重ね10年後の1874年にオステオパシーを創始したのです。
1860年代の医学は、抗生物質もない時代でしたので、感染症である髄膜炎には為す術もない状況だったと思います。
失意のどん底でスティルは、病気を治していくために、人間にもともと備わっている自然治癒力を最大限に発揮させる方法を模索したのです。
現代のアメリカのオステオパシーでは、外科手術や投薬も認められており、医師に準じる立場にあります。
その他の国では手技療法として普及しており、日本でも法制化はされていませんが、手技療法としてのオステオパシーが普及し、国民の健康に寄与しています。
当院の院長が学んだ「長生療術」もオステオパシーの影響を受けた施術です。
日本では、オステオパシー(Osteopathy)という言葉を知っている人はほとんどいないでしょう。
同じくアメリカ発祥のカイロプラクティックは、1895年にD.D.パーマーによって発表されましたが、こちらの方が日本での知名度は高いです。
オステオパシーもカイロプラクティックも、人間が本来持っている「自然治癒力」を効果的に働かせるための手技療法です。
※明治7年の日本の出来事
1874(明治7)年1月:板垣退助らが愛国公党を創立する。
1874(明治7)年1月:板垣退助らが民選議員設立建白書を出す。
1874(明治7)年2月:江藤新平らが佐賀の乱を起こす。
1874(明治7)年4月:板垣退助らが土佐で立志社を作る。
1874(明治7)年5月:台湾に出兵し征台の役がおこる。
1874(明治7)年6月:北海道開拓のための屯田兵制度ができる。
オステオパシーの学校

スティルは、1874年にオステオパシーを発表し、その18年後にこの素晴らしい医学を普及することになったのです。
オステパシーの最初の学校となるAmerican School of Osteopathy(アメリカン・スクール・オブ・オステオパシー(現在のA. T. Still University)をミズーリ州のカークスビルに設立しました。
当時は、2年制の学校で、1894年に21人の卒業生を世に輩出しています。
スクールの卒業生には、ウィリアム・ガーナー・サザーランド(William Garner Sutherland)がいます。彼は1900年にオステオパシースクールを卒業しました。

サザーランドはオステオパシーの代表的な医師で、彼の考案した頭蓋骨へのアプローチは、現代のクラニアルテクニック(頭蓋骨矯正)の基礎であり、頭蓋骨や全身のリズミカルな動き(一次呼吸メカニズム)を発見したことでも有名です。
また、オステオパシーの理論やテクニックをカイロプラクティックの世界に広めたDr.メージャー・バードランド・ディジョネットはカイロプラクティックの発展にも大きな影響を与えました。
オステオパシーと、カイロプラクティックの利点を融合した S.O.T.(仙骨後頭骨テクニック)を開発し、ソフトで安全で的確な治療法を体系化したのです。
日本のオステオパシー
日本にオステオパシーが紹介されたのは、明治37年といわれます。
その後、オステオパシーを本格的に紹介したのは山田信一で、1920年(大正9年)10月20日に発行した『山田式整體術講習録』(山田式整体術講習録)の第2巻にオステオパシーの技術的なものが紹介されています。
『山田式整體術講習録』は3巻から構成されています。
- 第1巻…プラナ療法(プラーナ療法)
- 第2巻…オステオパシーの原理
- 第3巻…精神療法
それ以降、日本中にオステオパシーの影響が様々な形で広がり、現在、厚生労働省認可の国家資格「あん摩・マッサージ・指圧師」の中の「指圧」もオステオパシーの影響を受けているのです。
私の母校の長生学園の基礎を築いた長生療術の創始者の柴田純宏【しばたじゅんこう(1899年 – 1954年、釋長生)】により、昭和6年12月「脊椎矯正法」として発表された「長生療術(ちょうせいりょうじゅつ)」もオステオパシーが基礎になっています。
長生療術(長生医学)には三本の柱があります。
- 脊椎矯正
- 精神療法
- プラーナ療法
これを見ると、『山田式整體術講習録』の見出しと大変似ていることから、おそれく長生療術は『山田式整體術講習録』にその源流があり、更にその源流がオステオパシーということになります。
プラーナとオステオパシー
次に『山田式整體術講習録』や長生療術のプラナ療法(プラーナ療法)についてお伝えします。
プラーナとは「生命エネルギー」や「氣」ともとらえられ、「全ての根源」と考えられます。
肉体も身体にめぐる生命エネルギーも、感情や思考、情動もプラーナと考えられます。
ですから、目に見える肉体と、目に見えない生命エネルギーや感情や思考のエネルギーを分けて考えることはできないのです。
長生療術でも「霊肉救済」の考えを大切にしています。

般若心経でも目に見えるもの(色)と、目に見えないもの(空)は同じものであると示されています。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色
(参考訳)
色は空とは異ならず、空も色と異ならず、色即ち空なり、空すなわち色なり。
般若心経
プラーナはオステオパシーとは全く関係ないように捉えられがちですが、実はオステオパシーにもエネルギーワークがあるのです。
オステオパシーから派生した「バイオダイナミクス(ジム・ジェラスD.O.)」や「クレニオセイクラルセラピー(CST)(ジョン・E・アプレジャーD.O.)」もエネルギーを扱う治療法です。
また、サザーランドの考案した頭蓋骨調整(クラニアル)も、単なる肉体的な動きだけでなく、エネルギーの波を感じていると私は考えます。
私が以前、バイオダイナミクス・オステオパシーのセミナーに参加した際、Dr.トム・シェイヴァーD.O.から聞いた話のなかに、オステオパシーのエネルギーワークについてのものがありました。
オステオパシーの黎明期には、アメリカ医師会からの弾圧を避けるために、エネルギーワークは地下に潜らせたというのです。
やはりこの当時から、オステオパシーにもエネルギーワークがあったのです。
これらの考察から、『山田式整體術講習録』のプラナ療法(プラーナ療法)もオステオパシーの一部と考えていいのではないでしょうか。
現在のオステオパシー
1874年にアメリカで産声を上げたオステオパシーが、明治期に日本に紹介され、独自の発展を遂げてきました。
世界では、アメリカ以外でも、イギリスやオーストラリアなどでオステオパシーが普及しています。
日本国内では、オステオパシーは法制化されていないのが現状です。
国家資格のある「柔道整復師」「鍼灸師」「あん摩・マッサージ・指圧師」は、人間の体に対して施術する上での最低限の教育を受けています。
これらの有資格者が卒後教育としてオステオパシーを学び実践していますので、医学的知識と施術上の安全性は担保されていると思います。
ただし、無資格者の施術に関しては注意が必要ですので、自分が受けている施術者が国家資格を持っているかどうかを確認してみるといいと思います。
戦後、アメリカのオステオパシー界との様々な交流によって、日本にも多くのオステオパシーの情報が入ってくるようになりました。
日本のオステオパシーのレベルも年々向上していると思います。
オステオパシーが、健康回復に寄与していることは確かだと思います。
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