神とは?

今回は、前回のブログに引き続き、三田一郎 著、「科学者はなぜ神を信じるのか」の後編です。

前回は、コペルニクスとキリスト教会との関係を中心にお伝えしましたが、今回はガリレオ以降のお話になります。

ガリレオ・ガリレイ
ガリレオ・ガリレイ

ガリレオといえば、知らない人はいない程の有名な科学者で、皆様ご存知のように、彼もまた教会の圧力によって、不遇な晩年を送るはめになったのです。

それは、ガリレオの唱える地動説が当時の教会の教えにとって、都合が悪かったためです。今の時代の人からすれば、教会の考えはバカげていると思えますが、当時はガリレオの方が異端者として罰せられたのです。

ガリレオは、「宇宙は第二の聖書である」という趣旨の言葉を残していますが、目の前の現象を丹念に観察し研究した結果、この宇宙という第二の聖書の言葉を解読していったのです。

しかし教会は、紙の聖書と自分たちの権威に固執し、現実を見失いました。

ガリレオ裁判などでも思うのですが、当時の教会の聖書に対する理解や解釈の誤りは、今の常識からは明らかです。

しかし、当時は今よりも科学水準が低かったため、教会の人間は、その知識の範囲内で聖句を解釈し、また自分たちに都合のいいように理解してしまいました。

そういう意味では、ガリレオは教会の人たちよりも、はるかに真理に対して進んでいたのですが、教会の思惑がその障害となってしまったのです。

治療の世界でも、カイロプラクティックなどの治療法は、アメリカ医師会の弾圧に遭い、多くのカイロプラクターが投獄されました。獄中で死亡したカイロプラクターもいたほど大変な弾圧でした。

逮捕されたカイロプラクター
逮捕されたカイロプラクター

新しいものが世に出ると、それに困る人たちが、抵抗勢力として必ず妨害してくるというのは、いつの時代にも起こるものです。

次に、カイロプラクティックの診断法の一つに、キネシオロジーテストというものがあります。これは、見えないエネルギーをとらえる技法で、「氣」を調べるテスト法といってもよいでしょう。私も診断法として活用している大変便利なものです。

しかし、カイロプラクターを標榜する治療家でも、このキネシオロジーテストには拒絶反応を示す人も多いのです。もともとカイロプラクティックの一派から生まれたものなのに、自分達で理解できなかったり、うまく使いこなせないなどの理由で「インチキ」の烙印を押すものもいるのです。

このキネシオロジーテストの中にも様々な流派があり、狭量な治療家による他流派への批判や足の引っ張り合いもあります。こういうところは、人間の愚かなところで、なんだか宗教間の争いとよく似ています。

キネシオロジーテストとは、見えないエネルギー(氣)をとらえる技法で、実はこのエネルギーは今の科学では測定できないものです。

このエネルギーを聖書から読み解くと、次のような箇所に行き着きます。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息(Breath of life)を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記の2章7節、新共同訳)

この様に神が「命の息」を入れて人は生きる者となったとされていますが、このエネルギーは、同じく現代の測定機器では測れないものです。

キネシオロジーテストは、この命の息の一部をとらえているのではないかと考えています。

このエネルギーを人はいろいろな表現を使って表しています。『氣(中国)』、『オルゴン(ライヒ)』、『生命場・ライフフィールド(ハロルド・サクストン・バー)』、『プラーナ(古代インド)』など。これらはいずれも、生命の本質を表しているのです。

因みに、日本の神話の神様である生産日神【いくむすひ(び)】の「イク」は「イキ」(生き、息)と同根で、霊魂を生き生きと活動させる徳のある神様の意味だそうで、聖書と不思議な共通項を感じます。

話しを書籍に戻すと、著名な科学者の中には神を信じる者がほとんどだそうです。

アインシュタイン
アインシュタイン

アインシュタインは、一般的に無神論者だと誤解されていますが、間違いなく神を信じていました。彼は若い頃にキリスト教会に失望し、彼独自の神の概念を持ちました。ただし、彼自身の信じる神とは、擬人化され、人格化された、人間を大きくした様な神ではないそうです。

ホーキング博士
ホーキング博士

今年お亡くなりになった、ホーキング博士も、自らが無神論者だと公言してしていたそうですが、それは彼の表面的な部分で、実際は彼も自分自身の信じる「神」をもっていたと、著者は述べています。

しかし、ホーキング博士と、カトリック教会の関係はちょっと微妙で、教会はビッグバン理論を「神の存在証明」として歓迎しました。ホーキングが、特異点を証明したことを教会は、神の存在を確かなものにした功労者として最大級の賛辞を送ったのです。

しかし、この本によると、ヨハネ・パウロ2世は、ホーキングに対し次のように言ったそうです。

ビッグバン以降の宇宙の進化を研究するのはおおいに結構です。しかしビッグバン自体を探求してはなりません。それは創造の瞬間であり、神の御業だからです

ヨハネ・パウロ2世といえば、1979年に、ガリレオへの謝罪の言葉を述べ、科学と宗教の融合を宣言した教皇です。その教皇が、この様に教会に都合の悪い研究はしないよう、ホーキングに圧力をかけたのです。

これでは、ヨハネ・パウロ2世の、ガリレオに対する謝罪は、単なるパフォーマンスで、本質的には何も変わっていないと受け取られます。ホーキングが既存の宗教を信じなくなるのもわかるような気がします。

私も治療師の立場から神を信じるか否かと問われれば、信じると答えます。ただし、ここで言う「神」とは何でしょう?

著者は、神と宗教についてこう述べています。「宗教という言葉は往々にして、『神』と『教会』と『宗教』を混同しています。神は信仰者が崇拝する相手です。教会は神を礼拝する人間の集まりです。宗教は人間が神の教えを伝える手法です。教会や宗教は、人間がやることですからしばしば間違いを犯します。しかし、神は間違わないと定義されています」

現在の宗教も同じで、キリスト教も、イエス様とイコールではないし、仏教もお釈迦様とイコールではなく、儒教も孔子様とイコールではないのです。

そもそも、聖書(新約)も、仏典も、論語も、その作者は創始者達ではなく、後の者たちが書いたものなので、創始者オリジナルではないのです。

続けて著者は、「『教会』や『宗教』の活動に熱心に参加することと、『神』を自分の心の中で信じることは、イコールではありません」と述べています。

究極的には、一人一人が信じるものを「神」と呼んでいるのではないかと思います。故に神が人をつくったと同時に、人が神をつくったとも言えるのではないでしょうか。

話しを治療家と神に戻すと、ほとんどの治療家の先生方は、生命エネルギーの偉大さを、臨床の場から直接感じ取っていると思います。身体の歪みが治るのも、痛みや痺(しび)れが治るのも、治療家が治しているのではなく、何か大いなる力が働いた結果だと思うからです。

確かに、自分が治してやろうなどと考えて施術をしたら、まず自分が疲れてしまいます。やはり大いなる力に委ねる部分が必ずあります。最終的には施術という行為が、祈りへと昇華されていくのかもしれません。それぐらい治療家はある意味、無力で、その無力さを知るが故に、「神仏」に祈るのではないでしょうか。

西洋の諺に、「神が治し、人が金をとる」というものがありますが、まさしく言い得て妙です。

私が国家資格を取る際にお世話になったあん摩・マッサージ・指圧師の専門学校は、浄土真宗長生派が母体の学校で、仏教の教えの中から、「霊肉救済」ということに重きを置いていました。この長生療術も阿弥陀様のご利益が、見えない形で働いていると信じて施術をしているのです。

目に見えない生命エネルギーを含めた全人的治療を行う上で、最終的には大いなる存在に対しての感謝や畏敬の念を抱くのは自然な成り行きです。

著者は言います。「不思議な現象に出会ったときに最初から『神様がお作りになったのだ』と言う人は、絶対に科学者ではありません。科学者のくせに神を持ち出す卑怯な態度である」

確かにあらゆるものに「神様」を持ち出すと、これはどうしてなのだろう?なんでなんだろう?という疑問や探求心も失われ、思考停止状態に陥る可能性もあります。

臨床の現場でも、なぜ痛みが出ているのか?なぜ筋肉に緊張があるのか?なぜ治ったのか?などについて、それは「神様」がそうしたのだから・・・と言ってしまったら、元も子もありません。

神を信じることと、何でも神様神様と他力的、依存的になることとは違うと思います。目の前のコップの水を飲みたければ、祈ることよりも、自分の手で口元にコップを持ってくることです。

著者は言います。人間には神をすべて理解することは永遠にできません。しかし、一歩でも神により近づこうとすることは可能です。近づけばまた新たな疑問が湧き、人間は己の無力と無知を思い知らされます。だからまた一歩、神に近づこうという意欲を駆り立てられます。

この様に考えると、全ての科学者は、疑問、回答、疑問、回答の中で、何かに近づこうとしていたのではないでしょうか? そして、その何かとは「神」だったのかもしれません。

治療家も同じで、施術を通して、生命や宇宙の法則に触れることで、「神」や「仏」などへの畏敬の念が芽生え、そこに一歩でも近づこうとしているのではないでしょうか。

最後にに私の大好きな金子みすゞさんの詩をご紹介します。

『蜂と神様』      金子みすゞ

蜂は お花の中に   

お花は お庭の中に   

お庭は 土塀の中に   

土塀は 町の中に   

町は 日本の中に   

日本は 世界の中に   

世界は 神様の中に   

さうして さうして 神様は   

小ちゃな 蜂の中に。

この様な考え方は、一神教の原理主義の人にはないかもしれませんが、我々日本人の中には、DNAの中に深く根付いているのではないでしょうか。

実は、アインシュタインの宇宙観、宗教観とも似ていると思います。原子の中に宇宙があり、宇宙の中にも原子がある・・・このフラクタルな世界観は、小さな蜂から大きな宇宙まで、その全てに神様が宿るという金子みすゞの世界観と相通ずると思います。

そして、こうした考えであれば、もっともっと世界が平和になるのかもしれません。

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