オステオパシーVSカイロプラクティック

世の中には様々な治療法がありますが、その中で手技療法として世界的に有名なものは、オステオパシーとカイロプラクティックです。

どちらもアメリカ発祥の手技療法で、日本での認知度は、カイロプラクティックに分があるのではないでしょうか。

オステオパシーは1874年にA.Tスティルによって発表されました。遅れること21年、D.Dパーマーによって、カイロプラクティックが産声を上げたのです。

この当時のアメリカの時代背景を調べてみると、ある共通項があることに気が付きました。それは、経済恐慌です。

まずオステオパシーが生まれた1874年の1年前には「1873年恐慌」が起きています。

1873年恐慌

第四ナショナル銀行の取付騒動、ニューヨーク市ナッソー通り20、「フランク・レスリーの挿絵新聞」1873年10月4日版より

 

1873年恐慌は、1873年から1879年までヨーロッパと北アメリカで不況を生じさせた金融危機で、これには様々な要因がからんでいますが、結果的に1873年から1896年にわたる世界的な構造不況(大不況)につながるのです。

次にカイロプラクティックが発表されたのが、1895年で、その2年前にはアメリカで「1893年恐慌」が起こっているのです。

1893年恐慌

1893年5月5日に逆上した株式仲買人、フランク・レスリーのイラスト入り新聞より

これを見ると、1873年恐慌は、アメリカの大不況の幕開けで、1893年恐慌がそのクライマックスととらえることができます。

この様に、経済的大混乱の時代に、オステオパシーもカイロプラクティックも世の中に出てきました。また、この様な混乱期だからこそ、このような新たな治療法が出てこれたとも言えます。

究極的には、オステオパシーもカイロプラクティックも時代によって選ばれた治療法で、時の運があったのだと思います。

どんなにすばらしい発明発見でも、その時代に合わなければ日の目を見ることができないので、どちらにも天の導きがあったといってよいでしょう。

下の写真が、オステオパシーの創始者のA.T.スティルです。彼は医師であり、。南北戦争には、北軍の従軍医師として参加しました。

オステオパシー創始者 スティル

南北戦争の後、彼は3人の息子(2人が実子、1人は養子)を脊髄膜炎で失い、当時の医学は完璧ではなく、時に有害ですらあるとの結論を得たと同時に、彼は自分の無力さを痛感したのです。

医師である自分の目の前で、我が子が次々と病に倒れ、全くなす術がなかったスティルの心中を察すると、同じ子を持つ親として大変胸が痛みます。

アレクサンダー・フレミングが1928年にアオカビから見付けたペニシリンが世界初の抗生物質であるり、実用化までに10年かかっていますので、スティルの死後21年となります。

もしスティルの存命中に抗生物質があったら、彼の子供たちは助かっていたかもしれませんが、それでは、オステオパシーは存在していなかったでしょう。「必要は発明の母」といいますが、とても複雑な心境です。

スティルは自身の研究や臨床的な観察により、筋肉や骨格の仕組みが、健康や疾病に重大な役割を果たすと考えました。

その筋肉や骨格に適切な刺激を与えることで、健康を維持することが出来ると確信し、様々な手技を開発しました。

そして、身体の構造の問題を調整することで、身体の機能は適切となり、かつ自己治癒力が改善されると信じたのです。

さらに、彼は、予防医学についての考えを押し進め、医師は病だけではなく、患者の全体としての治療に注目すべきとの考えを支持した。

これらの確信は、新しい医学的アプローチを形成し、オステオパシーの基礎となりました。この思想に基づき、スティルは、オステパシーの最初の学校となる最初の学校 American School of Osteopathy(アメリカン・スクール・オブ・オステオパシー (現在のA. T. Still University) をミズーリ州のカークスビルに設立したのです。

実は日本にも、大正期にオステオパシーが紹介されているのです。1874年にスティルがオステオパシーを発表してから、50年近くたった1921年(大正10年)にオステオパシーを日本に紹介したパイオアニアで、後に整体操法制定委員会に参加した山田信一氏は、『山田式整體術講習録』(山田式整体術講習録)で、オステオパシー、プラナ療法(プラーナ療法)、精神療法を紹介し、オステオパシーは「整体術」「山田式整体術」などの名で日本に広まりました。

私があん摩・マッサージ・指圧師の国家資格を取得する際に、お世話になった長生学園も、オステオパシーにゆかりがあり、そこで行われる長生療術のルーツもオステオパシーなのです。

オステオパシーは、整体、療術、指圧などのルーツとなり、現存する日本の手技療法にも大きな影響を与えてきました。

今から100年近く前の話なので、この日本の手技療法の流れを知らないで、日々の臨床に当たっている治療家も多いと思います。

その後、日本は様々な事情で戦争に巻き込まれていき、日米間の国交が途絶えたため、オステオパシーに関するアメリカからの新たな情報が入ってこなくなりました。

この間、オステオパシーは日本で独自の進化を遂げ療術、整体、指圧の中に取り込まれていきました。戦後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって禁止されたが、昭和30年に「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」により、指圧などは法律上で認められましたが、整体や療術は認められていません。

どの療法もそれほど差が無いと思うのですが、あるものは法律で認められ、あるものは認められないとは不思議なものです。やはり政治力があるか無いかが大きかったのだと個人的には思っています。

それにしても、スティルの開発したオステオパシーが、今でも日本で形を変えて生き続けていることに、感慨深いものがあります。

まあ、スティルがいまの日本の指圧や整体を見たら、間違いなく、これはオステオパシーではないと言うでしょう。

でもこれは仕方がないことで、その治療法を伝えていくのは後の人であり、そこにはそれぞれの人たちの考えが入ってきます。国や人種、宗教も違う日本で、オステオパシーが独自の変化を遂げるのは当然の成り行きです。

これは宗教も同じで、釈迦やキリストがいまの仏教やキリスト教の教えや活動を見たらどう思うのでしょうか?

そもそも釈迦もキリストも、今ある様な宗教として、その教えを伝えたのでしょうか。個人的にはそうではないと思います。

それぞれの教えが、弟子や後の者たちによって、変えられてしまったのだと思います。釈迦やイエスの教えは一つでも、その解釈は無限なので、仏教もキリスト教も、これだけ宗派や教団が分かれてしまったのです。

オステオパシーもまた然りです。

形はどうであれ、人々の健康増進に役立つ治療法がこれからも発展していくことを願っています。

今回はカイロプラクティックのことまでは書けませんでしたので、次回のブログに持ち越したいと思います。

 

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