長寿とは

かつて日本にも長寿村と短命村がありました。今回ご紹介する書籍は、「日本の長寿村・短命村」近藤 正二(こんどうしょうじ)先生のご著書で、サンロード出版です。

近藤 正二(こんどうしょうじ)先生

長寿と健康について考えるうえでその定義とは何かということで、近藤先生は少なくとも「70歳を超えるまで健康で仕事ができること」と述べています。

昭和10年から36年間、990町村を自分の足で歩いて取材を重ねた貴重な記録で、現代では失われてしまった農村、漁村、山村など村落の生活における独自性や地域特性、民族性などがどのように健康や寿命に関わっているのかをまとめられたものです。

流通網が整備され、均一化されてしまった今の日本では絶対にできない研究です。

結論から言いますと、長生き村と短命村の一番の決め手は食生活だったということです。すなわち、お米ばかりをたくさん食べる村は短命だったということです。

雨ニモマケズ

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にも、「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」という記載がありますが、当時の東北地方の食事事情は、わずかな副食物で大量の米飯を摂取する食習慣であったことがうかがえます。

志摩の海女と能登の海女

国崎

三重県志摩の海女(あま)は、たいへん働き者です。著者が調べた海女たちは、国崎(くざき)という村(鳥羽市に編入)の海女ですが、この国崎の海女は、伊勢神宮と朝廷に「のしあわび」を納めていました。

この土地柄の面白いことは、「男は働いてはならない」ということです。海女は朝五時頃から野良着姿で畑に出て、いもや野菜を作り、九時過ぎには海女の装束になって海岸に出ていきます。海に潜る作業は三時頃切り上げ、今度はまた野良着に着替えて暗くなるまで畑仕事に精を出し、夕食の支度、跡始末をいっさい自分でやるのです。

この人たちの食生活は、お米がとれないので、さつまいもと麦を主食にするほか、大豆やゴマといったものをたくさんつくり、野菜もあらゆるものをつくって食べます。

そして、甘いお菓子はたくさん食べないのです。お菓子を食べると水に潜ってアワビをとるとき、お腹が重苦しくてとれないからだそうです。この様な生活ゆえに、志摩の海女は長生きなのです。

ところが能登半島・輪島の海女が対照的です。ここの海女は押しなべて短命なのです。志摩の海女は、魚がたくさんとれても大食はしませんが、輪島の海女は魚と白米を多食し、野菜のとり方が少ないのです。

彼女たちは白米をさらに精米した、一寸二分づきの米をたらふく食べ、魚を多食し、そのうえ肉もまた、たくさん食べます。その理由は、

「私たちは女でありながら男以上の厳しい労働をしています。せめて陸に上がってきた時くらいは、真っ白い米を食べ、島では食べられない肉を腹一杯食べたいのです。」というそうです。

魚、肉の大食が心臓や脳の疾患など血管系の病気になりやすくしています。

しかし、志摩の海女のように、たとえ魚を食べても、野菜多食の人は長生きが可能なのです。長寿村の調査をした結果、長寿者は、魚か大豆を常食し、しかも野菜をたくさん食べている。逆に、これらの食事をしない人達に長寿者は少ない。

筋骨格系の疾患の椎間板ヘルニアなども、甘いものや白米などの糖質の多食によって身体が糖化した結果として椎間板が劣化して起こる場合もあります。

私の臨床経験からも、甘党の人やご飯好き(主食過多)の患者さんには腰椎変性疾患が多い傾向があるのがわかります。

奥尻島の健康部落

私の住む北海道の話ですが、昔はニシンがよくとれていて、ニシン場といわれた漁村の大部分が、魚ばかり食べて野菜が少なかったので短命でした。

北海道江差町の沖に奥尻島という島があります。当時、十の部落がありそのうちの球浦(たまうら)という部落だけが長生きの部落です。その理由は、この部落にだけ広い畑があり野菜をつくっていたからです。

能登半島から集団花嫁として約25人の娘が島に渡ってきました。江差は昔からニシンの本場で、奥尻島はニシン漁の漁師と、集団花嫁として能登半島から出てきた娘らによってつくられた島です。

集団花嫁のうち、五人ぐらいがこの球浦部落に嫁ぎました。最初にやらされた仕事は山林を切り開いて畑を作る作業で、他の部落には畑がないので、この部落だけが苦しい仕事であったようです。

仕事はつらく毎日泣く思いで、この部落に来た五、六人は顔を合わせるたびに「こんな部落にきて損をした。他の部落に行けばよかった」と泣き泣き話したものだというのです。

著者は、このおばあさんの話を聞いて、

「いや、そうじゃない。他の部落は畑がないから野菜を食べることがなく、魚の大食をして心臓病で若死にする人が多かったのに、この部落だけは苦労をして畑を作ったからこそ長生きの人が多いのです。これもあなた方の努力によるのです」

といったところ、八十一歳のおばあさんは喜んで、

「先生のいうことに間違いありません。私が保証します。よその部落に嫁いだ人は十年も前に死んでいるのに、私たちはまだ元気です」といったのです。

鰊御殿

鰊御殿(にしんごてん)は、北海道の日本海沿岸で隆盛を極めたニシン漁で財を成した網元達が、競って造った木造建築物です。当時の北海道にはこんな建物をつくれる大工はいなかったので、金にまかせて本州から大工や職人を呼んでつくったそうです。

内部も豪華で、本州から移入された檜や木目の美しいケヤキ・タモ材など高価な木材を使い、廊下等には生漆を施し、欄間も備えていました。

しかし、今では鰊もかつてのようにはとれなくなりました。「金持ち三代続かず」といいますが、この言葉には二つの意味があると思います。

一つ目は資源の枯渇や時代の変化などで同じ商売を続けることが困難になること。

二つ目が贅沢をし続けた結果、身体的に健康度合いが低下していき、その家系が長く続かなくなるということです。

贅沢と退化

骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと
出典:骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと

東京都港区に増上寺というお寺があります。このお寺は浄土宗大本山で、徳川将軍家とゆかりの深いお寺です。そこに埋葬されていた5人の頭蓋骨がありますが、上の段の左から順に、第3代将軍・徳川家光の三男の綱重(つなしげ)、中央が六代家宣(いえのぶ)、右端が九代家重(いえしげ)、下の段の左が十二代家慶(いえよし)、そして右が十四代家茂(いえもち)の頭蓋骨になります。

この頭蓋骨からは、いろいろなことが判ります。どの骨も、その当時の庶民の頭蓋骨と比べて貧弱なもので、代を重ねるごとにその退化が著しくなります。

これらの頭蓋骨にみられる特徴は、歯の咬耗(こうもう:咬合面の摩耗)が少ないことです。これは、柔らかいものばかりを食べていた証拠となります。お殿様は庶民とは違い、あまり嚙まなくても食べられるものばかり食べていたということです。

綱重は、35歳で死んでいて、その歯は32本すべてのこっています。6代家宣は、51歳で亡くなっており、上の歯は右第二大臼歯と左第一小臼歯に虫歯があり、下の歯は左右の第一大臼歯が揃って欠けているので、虫歯であった可能性が高い。

九代家重は、51歳で亡くなっています。病気のため常習的に歯ぎしりをしていたとみられる特殊な溝状の歯の咬耗があります。

十二代家慶は、61歳で亡くなっており、下顎は逆咬合の受け口の傾向があり、歯並びはひどく悪い状態(乱杭歯:らんぐいば)で、下顎骨も大変きゃしゃであった。

十四代家茂は第2次長州征伐中、7月20日大阪城で病死した。享年21歳であった。十二代家慶と十四代家茂はともに頭蓋骨の横幅が狭く馬面であった。

家茂は歯の咬み合わせも悪く、開咬(かいこう)・オープンバイトになっている。

開咬(かいこう)・オープンバイトとは奥歯しか噛んでおらず、前歯が噛み合わない状態のことを指します。

常に前歯が開いている状態なので、前歯で食べ物が噛めない、しゃべるときに息が漏れる、などの症状があります。

家茂の歯は、ごく軽度のものまで入れると上下の歯の97%が虫歯におかされていた。これは歯のエナメル質が並外れて薄いという特殊な体質を持っていた上に、甘いものが特に好きだったためではないかと思われる。

これらの頭蓋骨の形質は、典型的な貴族形質をもち前期の将軍よりも後期の将軍の方がその傾向が強まる。最も強く特徴づけられるのは、特異な顔面の形質ですべての将軍の顔高(セリオン:鼻根部の正中矢状面内で最も窪んだ点~オトガイ点:顔の矢状面内で下顎の最下端の点)

は、江戸時代の庶民に比べて甚だ高く、しかも後代の将軍ほど高くなっている傾向があり、12代、14代将軍にあっては、当時の庶民のみならず、現代日本人でも例をみないほどの高さである。

ちなみに、徳川家康公が75歳まで生きたというのは、当時としては大変な長生きでありました。

この本が書かれたのが1985年なので、今から約40年前になります。現代人の退化のスピードから考えると、今の若者の頭蓋骨はどうなっているのか、とても興味深い点です。

現代の若者の食生活も、徳川将軍家に負けず劣らず、柔らかいものを食べていないでしょうか?その結果、上顎・下顎とも発育が悪くなり、咀嚼力が落ち、歯並びが悪く、小顔になりました。

人間の身体の一部の退化は、全身にもその影響が及びますので、きっと何らかの体調不良が現れていると思います。

かみ合わせや歯並びの悪い人は、頭痛肩こり腰痛などの症状と結びつくことが多いので、徳川家の将軍もこれらの症状に悩まされていたのかもしれません。

現代の若者の体型は、ひょろひょろと背は高く、親の代とは全く違ったものになり、筋力や体力の低下も現れているのです。

猫背やストレートネックなど現代の若者の特徴的な骨格的変化が、首こり、肩こり腰痛などの不快な症状に悩まされる原因となっています。このような変化の根本原因が食生活の乱れにあるのです。

徳川将軍家の退化の歴史と、江戸幕府の衰退も不思議とリンクしていると思います。戦後日本の生活様式の激変によって、私達現代人に起こっている退化が、国力の低下とリンクしないことを祈っています。「国力=人口」という考えもありますので、日本は人口減少の局面に入っていますので、国力は下がっていくでしょう。

子供を産めないのか、産まないのかはわかりませんが、もしかしたら肉体的な退化の結果として産めないということも考えられます。

畑をもたず魚ばかり食べる漁村

魚の切り身を食べるところと、小魚を丸ごと食べる習慣のところでは、小魚の方が長生きをします。石川県の塩屋村というところがあります。ここは付近一帯の漁村の中で断然長生きの人が多い所です。

この辺の他の漁村は、とってきた魚を惜しげもなく刺し身にしたりして食卓にあげるのですが、塩屋村だけは刺し身を食べることは殆どなく、小魚だけしか食べないことがわかったのです。

塩屋村では、売れる魚は朝市に出してしまい、買い手のつかない小魚だけを家に持って帰る習慣があるそうです。こうして切り身ばかりの食べ方では短命を招きますが、小魚なら短命から免れることがわかったのです。

同じような例が、伊豆半島の田子(たご)にもあります。ここは伊豆節という鰹節の産地で、鰹のあがる期間は、脂身の多い腹肉が不要になるので部落中、こればかりを食べて野菜は全然食べません。その結果、心臓がおかされ、40,50歳で倒れるのです。

よく昔から言われる言葉に、「一物全体(いちぶつぜんたい)」という言葉があります。これは、食材の部分だけを食べるのではなく、全体を食べなさいという意味です。魚なども美味しい切り身の部分だけでなく、内臓なども食べた方が健康には良いのです。

小型魚と大型魚

しかし、手のひらに乗るくらいの小型魚ならまだしも、大型魚を一匹丸ごと食べることは不可能です。ですから健康のためには、大型魚よりも小型魚に分があります。

ハワイの日系人

ハワイに渡った日系人にも食生活と健康の変化が現れています。日系二世、三世は体格はよいが短命になっている。両親よりも先に死ぬ「逆さ仏」の現象が起きているのです。

その原因は、洋風化した食事、特に肉の大食が原因だったのです。日系一世の方々は肉をあまり食べないで野菜を多く食べていましたが、二世、三世になると肉が多く野菜の少ない食生活に偏ってしまいました。

そのため体格は大きくなっても、長生きはできなくなったのです。これはかつての長寿県であった沖縄県にも言えることですが、食生活が急激に欧米化してしまうと短命化に繋がってしまうのです。

臨床の現場でも、体格の立派な若者をよく見かけますが、それを支えるだけの筋力が追いついておらず、その結果椎間板ヘルニアなどになりやすくなっている傾向があります。

身土不二

古代ローマは贅沢ゆえに滅びたとも言われます。食糧(パン)と娯楽(サーカス)が無償で与えられ、豪華な食事を腹一杯食べては、吐いてまた食べるということを繰り返していました。

人は一度贅沢を身に着けると、額に汗して働くことや質素倹約の大切さを忘れてしまいます。日本の食文化も先人が血のにじむような努力を重ねてつくり上げてきたものです。その伝統食を簡単に手放していいのでしょうか。

身土不二(しんどふじ)という言葉があります。「身」とは体のことで、「土」とは環境のことです。すなわち、人の体は自分の住んでいる環境と一体であるということです。ですからその土地でとれる海の幸、山の幸、畑や田んぼの幸をバランスよく取り入れることで、その土地と一体となり健康になるのです。

旧約聖書にも人は土からつくられたと書いてあります。

神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。          (創世記2章7節)

ここで述べられている最初の人類がアダムです。Adamとは、ヘブライ語で「地面」を意味するadamah(アダーマー)からきています。肉体は土から生まれ、土にかえっていくのですが、その土のミネラルは、野菜や海藻、果物、魚介類などからバランスよく取り入れることができます。

米だけ、魚だけ、肉だけではだめで、その土地でとれたものを何でも感謝していただくことで身土不二となるのです。

まとめ

著者は、長命の人の特徴は、「きつい労働」と「野菜、海藻をよく食べる」ことで、短命の人は、「楽をする」、「動物性食品が多い」、「野菜不足」の傾向があると述べています。

著者が提唱する健康十則があります。

  1. 正しい姿勢・・・食事のときも寝るときも
  2. 充分明るい所で・・・仕事をするとき
  3. 常に良い空気の中で・・・換気をする
  4. ある程度は良い気温
  5. 日光に親しめ
  6. 毎日、運動・・・よく歩く
  7. 充分、休養・・・特に安眠
  8. 鍛錬を忘れない
  9. 科学的にみて清潔
  10. 正しい食生活

野菜、海藻、豆類などをしっかり取り入れた和食中心の食生活が健康のカギを握っていると思います。

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